「帰還」

5.


「いつ帰ってきたのーー?もう帰ってこないと思ってたんだよー」
ミツコは無邪気に言った。おかっぱ頭についたリボンがかわいく揺れる。

ランドセルを背負っているミツコをトリトンは不思議そうにみつめた。
時の流れを思った。
「あ、そうか、ミッちゃんはもう小学生か。・・・あっ、ケンタは?」
「んー、お兄ちゃんはねえ、部活―。」
「部活?」
「野球部なんだよ。今度隣の町の中学と試合なんだって。」
「ふーん・・・」
トリトンはケンタが野球が大好きだったことを思い出した。
「一年生はねーー、短縮で今日は早くお帰りなの」
ミツコは聞かれもしないことをぺらぺらとしゃべった。
「あっ、お兄ちゃん、呼んでこようか?まだ学校にいるよ」
「ミッちゃん、待って!」
行こうとするミツコをトリトンはあわてて止めた。
「ケンタに伝えてくれないかな。オレは元気だって。海で暮らしてるって」
「うん、わかった。いっとく。でも・・」
「でも、何?」
「トリトンのお兄ちゃんは村で暮らさないの?帰ってきたんじゃないの?」
トリトンは言葉に詰まった。
「うーん・・・。村には住まないけど、ちゃんと暮らしてるさ。」
「ふーん・・」
ミツコは何となく解ったような解らないような感じだった。
「じゃあ、さよなら。」
振り返って行こうとするとミツコが呼んだ。
「トリトンのお兄ちゃん!」
「何?」
「お兄ちゃん、その服、かっこいいーーーー」
トリトンはあらためて自分のきているチュニックをつまみ、ミツコをみた。
ミツコはにこにこと笑っている。
「あ・・ありがと・・・」
無邪気なミツコの言葉に照れるトリトンだった。

 

トリトンはミツコを見送った後、再び岬の方に足を向けた。
人のいないのを確かめてから、「立ち入り禁止」のガードをひょいとまたぐ。
海に向かってつきでた岬はほとんどが岩ばかりで植物は生えていなかった。
斜めになった地層の重なりが岬の創世の時期を物語っていた。
潮が引いた岬の裾は岩づたいに洞窟までつたっていけた。
歩くとぱらぱらと脆くなった岩がかけらになって海に落ちる。
珍しく波は穏やかで、トリトンはほとんど濡れずに洞窟の入り口までたどり着けた。
洞窟の中は真っ暗だった。後ろから波の音が反響し、ごろごろと不気味な音がする。
目が慣れてくると奥に小高くなってる大きな岩が見えた。
トリトンは足元に注意しながら、ゆっくり奥の岩に近づいた。
岩の横に、古びた大きな貝殻がころがっていた。
どうやら自分が置かれていた物らしい。
もう役目を終えたその貝殻は茶色に変色し、ひびがあちこちに入っていた。
ふと足元を見ると動物の骨だか人間の骨だか分からないものが散乱し、明らかに加工したと見られる貝殻が
多数ころがっていた。
どうやら、昔の人の生活のあとらしい。
それにまじり、小さなろうそくをたてたあとと、御神酒を入れるとっくりがころがっていた。
これは最近のものらしい。誰かがここに入ったのだろうか。
どうもここは古くからの「神域」のようだった。
「だから、近づくなっていったんだな・・・」
トリトンがひとりごちた時、後ろで大きな水音がした。同時にまた呼ばれた。
「トリトン!やっぱりここだったのね!」
トリトンは飛び上がるほどびっくりした。ここは誰も入れるはずがないと思っていたからだ。
水の中から、明るい髪の色と、大きな目がのぞいた。
ピピだ!トリトンの仲間の人魚は全く悪びれずにその姿を現した。


「ピピ!・・・おどかすなよ・・・!。」
「なによっ、失礼ね。なかなか帰って来ないから、心配して見に来たのよ。」
「それはいいけど、こんな真っ昼間に村に近寄るんじゃないよ!見つかっちまうぞ!」
「大丈夫よ。ずっと海の中から来たんだから。」
トリトンは舌打ちした。
「ああもう・・・仕方ないな。・・・ルカーは?」
「沖で待ってるわ。トリトンは必ず戻ってくるから、もう少しゆっくりさせてあげましょうって。
でも待ちきれなくて、アタシ来ちゃったの。」
「なんでここだってわかった?」
「だって、ここはトリトンが赤ちゃんの時、おじいさんに拾われた場所なんでしょ。
だからきっと行くはずだって、ルカーが・・・・」
「まいったな・・・・。みんなお見通しかよ・・・」
トリトンはバツの悪い顔をした。
「でもこの村、いいトコね」
ピピは近くの岩に座る。ピンク色の尾が暗い洞窟の中で明るくひかる。
「どうしてわかる?上陸していないのに?」
「だって、おいしい、貝がいっぱいあるんですもの。もうたっくさん食べちゃった。」
トリトンはあきれかえった。同時に真面目な顔をして、ピピに告げる。
「もう・・・、あんまり採りすぎるなよ。ここの村の人は、この近くで採れる物を売って生活してるんだから、
俺たちのせいで資源がなくなったりしたら、後でじっちゃんに迷惑かけるんだからな!」
「もう・・またじっちゃんだわ・・・!いっぱいあるんだからいいじゃない。・・でも『シゲン』って何?」
「・・・いいよ、もう。」
トリトンはピピと議論するのはやめにした。
「とにかく、ルカーの所へもどろう。もうこれ以上村にいちゃいけない。」
「もういいの?おじいさんとは会えたの?」
「会えたよ。だからもういい」
「アタシも会いたい。」
「何言ってんだ!ダメだよっ」トリトンは語気を荒げた。
「何よ、けち!」
「そんなんじゃなくって、・・・・年取った人を脅かすのはよくないんだよ」
「何、どういう意味?」
トリトンは返事をせず、さっさと海中に潜った。
「あん、待って!」
ピピは仕方なく、トリトンを追って、水中へと消えた。
洞窟の壁に2人の水音が反響し、こだました。

 

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