「帰還」 −あとがき−

 

「海のトリトン」はTVアニメーションで、当然全くのフィクションで、架空の物語で、登場人物は
すべて 実際には存在しない。
トリトン少年もトリトン族と言う架空の一族の一人で、緑の髪という 非現実的な特徴を持ち、
仲間は架空の生き物(!)の人魚でイルカが友達だ。
オマケに本人は水の中でも平気だし、動物と自由に話が出来る。

実際にはヒトは海に入れば溺れるだけであるし、イルカとの意志疎通は現代では疑問である。
「夢」と言えば聞こえはいいが、本当にあり得ない現実離れも甚だしい荒唐無稽の物語だ。
それに戦う意志や体力を反映する武器のオリハルコンの剣も実際にはあり得ない武器である。

 だが、ファンタジーとはいえ、物語の与える印象は不思議とリアリティに満ちている。
トリトン少年は前述の様なスーパーボーイなのに、良く泣き、戦いに恐れをいだき、気の合わない
少女の姿の人魚とはケンカしたりもする。
つまり感情表現がごく普通の少年なのだ。
 それに彼は我らがニッポンの「黒潮洗う一漁村」で育っている。
そして育てたのは一平じいさんという年老いた漁師だ。
これも実際にはあり得ない話だが、「海のトリトン」という話の中ではごく普通に説得力のある設定として
受け止められる。そして別れの時、トリトンと一平はごく自然に涙し、ごく自然に呼び合う。
まるで実際にはあり得ない設定の「海のトリトン」の中の人物が、TVのブラウン管を越えてやけにリアル
なのは、こんな一平じいさんみたいな、ちょっとひなびた漁村にはいそうな人物がさりげなく、ひょい、と
配置されているせいかもしれない。
 そして一平がトリトンを育てるシーンは本編中にごくわずかなカットで、しかも回想でしか登場しないのに、
まるで私達はトリトンが村で育った13年間を全て見ているような錯覚に捕らわれる。

 かつては自分の子さえ「授かりもの」として大事に扱う傾向があった。
だが子どもの表面的な言動に捕らわれ、自分の思い通りの子に育てようとして失敗する例が多いのは、
子は「授かりもの」から「作るもの」になったからかもしれない。
 「海のトリトン」の中の一平じいさんはトリトンを「わしんところの子」として我が子同様に育てるが、
その裏には 深い「信仰心」が見えると、すでに「ゑびす様とトリトン」でも書いたとおりである。
海人の子といわれながらも」、「授かりもの」トリトンを大事に育てる一平は、現代の日本人が失った
「敬虔さ」の現れなのかもしれない。


 血を分けた親子でさえ、意志の疎通の難しい昨今、この一平じいさんとトリトンの、全くの他人なのに
とても愛情ぶかい交流は「理想」の親子関係として私の目に映った。
離れていてもお互いを思い合い、別々の場所でそれぞれの名をよび、それぞれに泣く。
こんな素敵な「愛情」の関係ってあるだろうか。
 またトリトンも一平じいさんへの思慕を絶ちがたく、一度海に戻ったのにまた村に上陸し、陰から一平を
見たりする。その「すれ違い」のドラマに視聴者は涙するのだ。
 この2人の関係が「海のトリトン」をトリトン少年一人の活躍のドラマでなく、その陰で動く一平じっちゃんを
追えるドラマにもしているのだ。

 この2人の関係をよりいっそう濃密に書きたくて、無理矢理トリトンを「猪の首岬」のある村に戻してみた。
 そしたら、お互いに言いたいことがあるらしく、あれよあれよと泣き出し、しゃべりだし、別れても尚追いかけてくる。
こんなに登場人物が勝手に動くサイドストーリーは初めてだった。
調子にのって書き終えたとき、けっこうな分量になっていた。
気が付けばもう放映30年。
このような世界を書いても許されるだろう、と思った。

                                                          byうみかほる
                                                          2002年立春

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