◆第10話の感想◆
この回、予告でピピをぶつシーンが流れたので、大体予想を立てていました。
きっとトリトンとピピが大喧嘩して、最後にピピがぶたれちゃうんだって。(それはだいたい間違いない)
その内容も、せいぜい悪口をいったか、もしくはピピのわがままのせいで、イルカたちが危険な目にでもあって、トリトンが怒るのかなって。
でも実際そんな幼い小学生の予想なんて及ばない内容でした。この話は、冒頭(タイトルバックの後)がトリトンの夢から始まります。
初めて見たとき、トリトンの夢と気づかず、「え、まだ幽霊船の続きがあったっけ」と思いながら見てると、カミーラの顔がじっちゃんの顔になり、牙をむいて笑うのに「こりゃ、トリトンの夢だ!」と、気づいたとたん、「うわーーっ」とトリトンが闇の中に落っこちちゃいます。(大体夢のパターンって落っこちるのよね)。
ここのカメラワーク、よく見てください。(ビデオやLDを持ってる人)トリトンの目線になってるんです。
一つ一つドアを開けて、視線が泳いでるとこなんか、コワイ。手がにゅっとのびて、カミーラの方に差し出す。それってトリトンの手なんだって、妙にコーフンしちゃった覚えがあります。
それに、夢に見るほど、カミーラが怖かったんだなあ、とトリトンの気持ちを考えたりします。気づいたときのトリトンがマントを脱いでいて、「お休みモード」になっていたのに、とってもドキドキしました。
あ、寝るときちゃんとマント脱ぐんだ、って当たり前の事に気づいて、ホッとしたり。
「寝ぼけてベッドから落っこっちゃったんだな」とつぶやくとこがなんともとぼけてて、かわいい。
いいなあ、貝殻のベッドだなんて。いい夢が見られそうなのに、悪夢しか見られないかわいそうなトリトン・・・。
どこであんなでっかい貝(しゃれではない)を見つけて来たんだろうって。
妙なところを想像して楽しんでました。
で、もっとひどい現実の悪夢がピピのキンキン声。
「いきなり、どんちゃんがらり!いい気分がだいなしだわ!」にはこっちの気分も台無しだぞ!ピピさん!!
大体トリトンとピピのケンカって、ピピが突っかかるのが原因なんだよなあ。性格悪いよぉ、ピピちゃん。
じっちゃんの夢に突っかかってトリトンをけなすピピってサイテー。
なんで我らがヒーローのトリトンがこんなチビ人魚に悪し様に言われなきゃならんのよぉっ、と一人フンガイしておりました。(オイオイオイ・・・)
でもよく考えれば、ピピにいちいちひっかかってるトリトンもいけないのかも。
ああ、ばか、トリトン、床に穴あけたりして!(一体どんな転び方したんだ???→そっちの方が気になったりして)
幼いぞお、トリトン。こんな幼いトリトンってイヤ。
とにかく当時はこの話の重要度が良くわからず、一人でおこってばかりいました。
で、歌う島ですが、なんだかムードが寂しいですね。
ロマンチックと言うより殺風景な感じがしました。
でもトリトンってエライよ。自分から「なあ、仲良くしようよ」とピピに声かけて。
やっぱり「お兄さん」(年上)という自覚があるのかなあ。それにさすがにケンカばかりしてるのは良くないという考えが出てきたのかもしれない。一人で波打ち際に座って「オレが悪いのかなあ、じっちゃん」だなんてつぶやいているし。
でもピピの方は「今はその話はしたくないの」。とつれない。
それに対するトリトンも「オレが何を話してもダメなんだな」とため息。(このセリフ感じが良く出てます)
ピピが「そんなことないわよ。何でも話してみなさいよ」
セリフだけ聞いてると、いきづまった男女のカップルの仲直り話のようでおかしい。
キャラクター変えても通じそう。
お互い意識してるんだね。だからケンカになっちゃうんだね。
子どものケンカのようにみえて、案外恋愛ムードがあったのかもしれない。
でもささいなことからピピの話をトリトンが笑ってしまったことから、ピピが機嫌をそこねちゃう。
ピピにしてみればプロテウスに教わったことは大事な想い出なのだから、笑い飛ばされるのは心外なんでしょう。「これだからトリトンと話すのはイヤなのよっ」と捨てぜりふを残して、先に帰っちゃう。
さあ、ここからがピピの冒険の始まり。
泣いているピピを一匹のお魚さんが慰めてくれます。この魚がかわいいんだなー。
とても印象に残ってて、学校の課題にもつかわせてもらったぐらい。
(トリトンへ片想い3)
そうか、ピピは友達が居なくてひとりぼっちだったんだねえ、と改めて思いました。
そして遊んでいるうちにポリペイモスたちの移動に出会ってしまいます。
ここでもしかして、ポリさんに見つかって、人質にでもなっちゃうのかな、と思ったのですが、
幸い見つからずにすみました。でもトリトンとピピのケンカを描きながら、影で動いているポセイドン族をしっかり描くところはやっぱりすごい。こういうところが11話や12話の闘いにつながっていくのだから、伏線がしっかり張られていますね。
一方トリトン達はピピがイルカ島に戻っていないので大騒ぎ。
特にトリトンの落ち込みがすごい。「オレがいけなかったのかな・・・・うるさくいいすぎて・・・」と何でも自分のせいにしちゃうトリトン。苦労性だねえ。まじめだねえ・・・。
ねえ、ピピちゃん、あんたにはこんないい男の子、もったいないわよ。なんとかしなさいよっ(おっとっとっと、脱線)でもピピが無事だとわかったとたんにいい表情になる。やっぱり心配してたんだ。
イルカ島に帰る途中のトリトンの顔がだんだん怒りのカットになっていくのがいい演出だなと思った。イルカ島に戻ったピピの前に立ちはだかるこわい顔のトリトン。ただならぬ気配。怒り爆発寸前。
もう、これは「くるなー」と思ってました。
言い訳するピピにつかつかと歩みより、詰問。「どこへ行こうと勝手じゃない!」のピピの言葉に切れ、とうとう手を挙げてしまうトリトン。思いっきりピピのほおをぶったたく。すごい音がした。
いたかったろうなあ〜。これはコワイ。
いくらビョーキの私でもトリトンには殴られたくないです。ひええ。
「なんて言い草だ。みんながどれだけ心配したか、そのことがわかんないのかっっ!」
空で書けちゃうほど覚えてる、怒りのこもったトリトンのセリフ。もうコワイ。ほんとに怒ってたウソのない演技だったような気がします。(プロだから当たり前か・・・でもねえ・・・)
ちょっと脱線ですが、子役さんって、演じてる人物と自分の境界が曖昧になることがあるらしいですね。
大人の役者さんなら、自分は自分、今演じてるのは別の人格、と言う明確な線引きをするらしいのですが、(それを悟られないように、またわざと気づかないようにやっている。つまりかなり高度な計算をしている)
子役さんの場合、どうしても年齢的なこともあって、自分の感情と役柄の感情が明確に区別できない。また、そうやって「没入」しなければ演じられない、ということもあって、子役さん自身の人格が役柄に反映される事がおこるそうです。
私が好きになったのは、トリトン少年だったけど、それを演じて没入してくれた塩屋翼さんも同時に好きになっていたのかもしれません。誠実でまじめな印象のトリトンは塩屋翼さんの反映だったのかもしれません。
そして、ピピがどうしても好きになれないのは、ピピを演じた広川あけみさんが、「大人」の女性で、子どもを「演じていた」からかもしれません。
後半のピピの方が少々、おとなしくなって淋しいながらもすっきりするのは、本来の広川さんのもってる「大人の女性」の人格がピピの役柄に反映されていたからなのかも。
以上、私の妄想でした。えーと、なんだっけ。そうそう。
さすがにピピが嫌いな私でもこれにはちょっと同情してしまった。泣きじゃくるピピに「ざまあみろ」なんて事は浮かんでこなかった。トリトンがすごーく怒ってると言うことが痛いぐらい伝わってきた。
そしてその怒りは、トリトンがどれだけピピのことを心配しているかの裏返しだったんだ、と気づいたのは再放送のあと。
ピピに「トリトン族の女王様になってほしい」と言ったのは、どっかのFCで「プロポーズだ」とかいう意見がありましたが、私は、トリトンがピピに言い聞かせながら、自分も一人前のトリトン族になっていかなくちゃいけないんだ、いつまでも陸のことばかり思ってちゃ前に進まないんだ、ということを確認してたのかもしれない。
それが「いいかい、もうそろそろ、何のためにイルカ島にきたのか考えてくれなくっちゃ」のセリフになるのだ、と思いました。(何のためだろう??、マジメに悩んだ私って、ほんまにバカ・・・)
ラストシーンのルカーが「雨降って、地固まる、とか」といったのは、流石、「大人」ですね。
そしてイルカ島の未来を暗示するラストも好きです。
「めざめろ、ピピ」は「めざめろ、トリトン」でもあったのかも。
★あの、全くの余談ですが、以前飼っていたハムスター(♀)に「ぴぴちゃん」と
名付けたのは子ども達です(^^);;;;;