◆第19話の感想◆
さて「甦った白鯨」です。
これはご存じのようにハーマン・メルビル原作の「白鯨」がモトネタです。
原作と言うよりもそれを映画化した作品の方の印象が強いのですが。
この話で大好きなのはトリトンが本格的に陸に上陸すること。
それでもって陸の人間と密接に関わることです。これは8話(消えた島の伝説)以来のパターンです。
久々の陸の街の描写にわくわくしました。
なんというか、「海のトリトン」の中のお話だからうれしいというか、ドキドキしたというか。
よく自分は外伝や続編で陸の人と関わるトリトンを考えるのですが、それは普段海にいるトリトンが
陸でどう行動するか、とっても興味津々だからだと思います。また陸の人もトリトンと言う不思議な少年を
前にしてどう思うか、とか色々妄想してしまうからであります。そんな「妄想」のモトネタがこの話にはあります。18話でピピとフィンをさらわれ、大西洋を目前にして引き返さなければならなくなったトリトンたち。
とっても残念です。ゴール間近で振り出しにもどる、というコマをあてたようですね(^^)ピピはもう、この物語の「脇役」ですねえ。今回はチラリとも出てきませんでした。
ちょっとさらわれ役ばかりでカワイソウ。
5話でも「人質」だったし。16話でも結局トリトンを引き寄せるための「エサ」扱い。
もうちょっとナントカして欲しかったというのが本音です。
ピピ自身もトリトンたちが助けてくるのを待つだけの演出が多く、もうちょいと「自発的に」活躍させて
ほしかったですね。もっと面白いキャラクターなのにね。白鯨に遭遇し、白い島と思って近づいたトリトン。
ちょっと不用心というかなんというか。
まあ、「子ども向けTVアニメ」だから仕方ないか。
現代に作るともっと違う演出でしょうね。
でもって、おおっきな白いクジラと気付いたトタン、クジラの大きな尾ではじかれる。
白鯨の目に映るトリトンの演出がコワイ!!
例によって「うわーーーーっ」という悲鳴とともに気絶。
こういうの多いぞ!
安直ーーっと言えばそうだけど、トリトンが陸に打ち上げられうというシチュエイションをつくるための
「演出」なのね。で、陸で気がつくトリトン。
まあ、なんと不用心な!襲われたらどーすんのよっ(オイッ)
打ち上げられた町の人もじろじろ見てただけなのかしらん。揺り起こすとかしなかったの??
あんまりかわいかったので観察してたとか(爆)変な格好だな、とかね(^^)
髪の毛のことも聞かなかったなあ。当時の自分には不思議でした。(今デモだけど)
まあ、いちいちひっかかってたら話がすすまないわよね;;
で「白鯨に襲われた」と事情を話そうとしたら、「ウソだ!」という少年の声!
昔白鯨をやっつけたというロレンスの息子のギルティでした。
このギルティの声、フィンの声の杉山さんです!
なんとレギュラーメンバーの方がゲストを演じるという、ものすごい「節約」にビックリしてしまった。
でもすごくうまくって、トリトンに抗議する気の強い男の子をしっかり演技してました。
杉山さんの男の子の吹き替えって珍しいのではないでしょうか。
あとで「アルプスの少女ハイジ」で当たり役でしたが、タカラの「リカちゃん」の声もやってるのよね。ギルティのデザインが「タイガーマスク」のちびっこハウスの男の子に似てるなあ、と後で気付きました。
この作品も羽根さんが時々作画監督をやっておられましたね。
えと脱線しました。でもギルティが駆け込む先は酒場。そこに父親のロレンスがいる。
ロレンスは片足が義足です。白鯨との闘いで失ったのです。
ギルティからの報告をきいて、ロレンスはグラスを握りつぶすほど動揺します。
それほど自分に自信があったということなのでしょうか。
しかし、何ヶ月か前から白鯨が船を襲っているという噂があり、ロレンスの手柄がジツはウソだったのではないかという疑念を町の人にもたれます。昔自分がやっつけた白鯨がまた暴れていると聞いて青ざめます。
そして殴り合いにまで発展します。
うわー、「海のトリトン」の中で酒場のケンカやってる!!
なんだか、この場面は映画の一シーンのようでした。
そしてそんな「事実」に反論できないロレンスにショックを受けたギルティはロレンスのことを
「うそつき」といって出て行ってしまいます。
これもロレンスにとってはショックなことでした。
「トリトンとか言う子どもが生き証人だ」
噂のトリトンがでてきます、なんか話の中でトリトンが噂に出てくるのって好きだな♪
トリトンの態度にも関係があるようです(^^)
大人に対しては丁寧言葉で、「あの子どもがウソをついているとは思えないんだよ」と信用を勝ち取るほど
「大人」です。堂々と自己主張するところはすごいよね。トリトン少年の出現がこの港町の「平和」を乱したのです。
ギルティやロレンスにとってトリトン少年は「悪魔の使い」でしょうか。
この船を襲っている白鯨の画像が「止め絵」で印象的なんですが、映画「白鯨」の最初にでてきた画像に
雰囲気が似ていて、スタッフはこの映画を参照にしてるな、と思いました。
ちょっと古っぽい酒場の雰囲気も似ています。
全体にこの街は20世紀初頭のヨーロッパの酒場のようです。
「海のトリトン」の時代設定が放映当時の現代と思わず、もっと昔だと思われても仕方のない「時代感覚」のズレがそこかしこにあります。物語と言ってしまえばそれっきりですが。1話の漁村もあの当時の日本でも「古い漁村」でしたし、8話の真珠採りの風景ももうありません。
「海のトリトン」の陸の描写は失われていく海辺の風景の残像なのかもしれません。まだトリトンが港にいるときいてロレンスは船着き場にやってきます。
ここのシーン好きです。
ゆっくりと近づいてくる義足の男。港でたたずんでいる緑の髪とマントの少年。
曰くありげな不思議な少年と、かつて「海の英雄」 と言われた男の対面。
ロングのショットがいいムードです。
トリトンもなぜ先を急がないで、この港町にとどまったのかしら。
「じゃ、オレ急いでるから、さよなら」というわけには行かなかったのかしらん。
船をずっと見ていたかったのかな、なんて余計なことを思います。ロレンスがトリトンに詳しい話を聞こうとするとき、ギルティが小船をだして勝手に海にでてしまいます。
サスガに港の子、船の操作ぐらいお手の物です。
「父さんのバカバカ、うそつき」という非情な言葉を浴びせながら。
ギルティにとって自慢のお父さんのロレンスが得体のしれない「よそもの」の少年の言葉に翻弄されるというのが
ガマンならないようです。そんなトリトンにロレンスは厳しい言葉をあびせます。
「オレはオマエの話のおかげで息子にうそつきよばわりされた」
トリトンも「白鯨に襲われたのはウソじゃないんだ」と「反論」します。
ロレンスは船を出します。
そしてその決着を付けるのは不毛な議論ではなく、白鯨を再び自分の手でしとめるしかないと決断します。
ここがロレンスさんの男らしいトコロです。船を進めながら、ロレンスは白鯨と戦ったこと、足を失った経緯を説明します。
トリトンのことを、「トリトン君」と丁寧に呼んだのロレンスだけのような気がします。
昔ながらの銛をつかったクジラ取りの漁法で、ロレンスは白鯨に闘いをいどみます。
ここの止め絵も印象的で、ドラマティックです。白黒のコントラストが強く、コワイぐらいのインパクト。
止め絵ははっきりいってセル枚数節約の「手抜き手段」ですが、「手抜き」にみえない一枚の絵の
クオリティの高さと、演出の巧さがあります。荒っぽいところもありますがそれがまた迫力です。
これを真似して描いたら画家になれるぞ!!と思うほど絵が印象的です。
「海のトリトン」はただの手抜きアニメじゃないぞーーー(力説)
モトネタの映画ではエイハブ船長はクジラと共にロープにひっかかったまま永遠に海をさまよいます。
一本足のロレンスの描写は「宝島」のシルバー船長と「白鯨」のエイハブ船長の融合なのかもしれません。
海の男のロマンをロレンスは具現化した存在なのでしょうか。そして、ロレンスはトリトンに白鯨の詳細を改めてたずねます。
「君は不思議な少年だ。カラダの中に海の匂いがしみこんでいる」
ロレンスの名セリフです。
トリトンの本質をズバリ言い当てています。
「何か知っているように私には見えるんだがな」
そしてそれをやんわりとかわすようにトリトンは答えます。「僕が知ってることは、ただあの白鯨を見たと言うことだけですよ」
こういうさりげないやりとりが大好きです。
とっても大人のやりとりで自分はすごーく好きです。
トリトンは自分の素性を一切ここで語っていません。ただ白鯨に襲われたと伝えただけです。
17話のように聞かれれば答えるかもしれませんが、それは「陸の人向け」に理解しやすいように
「言い換えた」ものであることでしょう。
でもトリトンの存在は陸人から見るとその姿だけでなく、雰囲気などから「普通でない」コトは感じられます。
でもロレンスは長年の勘から、このトリトンは裏に大きな事情があると見抜いています。
視聴者には両方の事情がわかります。だからおもしろい。こんな言葉の端々から、トリトンはもう陸の世界の住人ではなく、異界の住人だと感じさせます。
そういうムードがとても好きです。
白鯨を見つけ、船をとびだし、海に飛び込むトリトン。
それはたぶん自分に注意をひきつけ、ロレンス親子をまもろうとする「戦士」の行動。
ここでもトリトンはカッコヨク描かれます。でもロレンスから見るとアブナイ行動にしか見えません。
白鯨と共に海に沈んだトリトンを見て、危機を感じます。ロレンスはギルティの船に追いつきギルティに乗るようキツク言いますが聞きません。
ロレンスは強引にギルティをひっぱりあげ、説得します。「ギルティ、手を貸すんだ。トリトンの仇を討つんだぞ」
ロレンスはギルティはトリトンが白鯨の犠牲になったと思ってるようです。
まあフツーはそ−だよな。
でもすねたギルティは
「あんなヤツのことなんか知るもんか」とつっぱります。
そこにロレンスのビンタ!
いったーい!!でもこれは愛のビンタ!
「おまえの助けがいるんだ。白鯨が生きているなら俺達が殺らなくちゃならないんだ!」
ギルティに自覚を促し、白鯨退治の協力をもとめ、「海の男」として目覚めることを求めていたのです。
なんか良い関係だなあ。一方海中ではレハールに操られた白鯨がトリトンに催眠術をかける。
トリトンは身体の自由がきかなくなってしまう。ここでセリフのカット発見!
「おまえ一人がポセイドン族を相手に戦うなどきちがい沙汰だと思い知るがよい」
ああ、もう仕方ないなあ。古いアニメの宿命でしょうか。言い換えるなら、
「おまえ一人でポセイドン一族を相手に戦うなど所詮無理な事なのだ。あきらめろ」とでもなりましょうか。で、ギルディが勝手に船を反対方向に操舵したりと色々ありますが、(ギルティはこわがりなのね)
ロレンスは浮上した白鯨に狙いをさだめ、白鯨に銛を打ち込みます。
そのとたん、レハールの水晶玉に何も映らなくなります。
またトリトンへの催眠術がとけます。
怒り狂って船を襲おうとした白鯨を、自由になったトリトンがオリハルコンで目をつぶします。
白鯨がもう一度海上にジャンプしたときロレンスはまた銛を打ち込みます。
同時にトリトンもオリハルコンの剣を白鯨に突き立てます。ここカッッコイイーーー!!白鯨をしとめるカットはちょうど逆光でロレンス親子にはトリトンの姿が見えない構図になっています。
だからロレンス達は自分たちが白鯨をしとめたと思ってるんですけど、影の功労者に気付いてホシイーー!
海上で消えていく白鯨を見て「やっぱり白鯨は悪魔だったのか」とロレンスはつぶやきます。
ギルティは「白鯨をしとめた海の英雄ロレンスだ!」とロレンスを再評価します。
親子のよりが戻って良い感じ。
で、トリトンも「オレのお父さんもきっとあんな強い男だったに違いないぞ」とロレンスを評価します。
そうだよトリトンは両親がいないんだよ。
あんな仲良し親子を見せられちゃ、ウラヤマシイじゃないか。くそー。ルカー達が向かえにきてエンドマーク。
この話ではトリトンは「ゲスト」扱いです。
この物語の主人公はロレンスとギルティの親子でトリトンは「傍観者」的なイメージがします。この話では不思議と17話や18話で感じたような「わだかまり」がありません。
白鯨に代表されるポセイドン側が悪、トリトンやロレンスたちが結局それを退治する善の側、と言う構図になっているからかもしれません。葛藤や矛盾はみられません。それと「映画の「白鯨」では白鯨モビィ・ディックは悪魔の使いのような描かれ方をされ、それを執念深く追い回す
エイハブ船長も「狂信的」に描かれ、暗いムードでしたが、「海のトリトン」の中ではギルティを加えることにより爽やか親子物語になっています。
ヒマがあれば映画「白鯨」をみてみるのも一興かもしれません。
トリトンが陸の人達とすれ違い的に関わり、そして結局は海に戻ってまた旅を続けるというパターンがあり、
この手の話をいくらでも挿入できる「余裕」が「海のトリトン」の世界にあります。
ただし、ピピを抜いて、の条件付きですが。
(ピピはピピで別にドラマが作れそうです。例えば10話はピピの「外伝」です)
トリトン一人でも独立性が強く、キャラクターにドラマが付随してるからこそでしょう。
↓オマケ