◆第18話の感想◆

今回は「灼熱の巨人タロス」。
青銅の巨人のおはなしです。
ジツは「灼熱(しゃくねつ)」と読めなくて、この話で初めてこの言葉を知りました。
けっこうタイトルにムズカシイ文字を使ってますね。次の「甦った白鯨」もそうだし。
辞書がいりますね。それとも当時の自分には難しすぎたのかも(笑)

予告編ではトリトンがタロスの大きな手に乗っているシーンが流れました。
だからこの巨人と対決するのかな、というイメージでみていました。

またけっこう人間の映像が流れたので 17話で人間の学者さんが出てきたこともあり、今回も人間が
関わるのかな、と思ったら人間は話をつなぐための 前降りでした。

初っぱなは人間の船の映像。てっきりこの船の人々がトリトンと関わるのかと思ったけど、そうではなく
巨人タロスの不気味さを出すための「演出」だったのですね。
被害にあった船の人達、なんだか古いタイプの船員さんだったような・・・。
マドロスさんっていうのかな。シマシャツに帽子というスタイル。

そしてタイトル後はペンギンを追いかけ回す「人間」のハンターが出てきます。
いかにも「密猟者」というかんじでペンギンをバンバン撃ちまくる。すると霧の中から大きな手が
でてきて、岩をぶっつけて船ごと密猟者を潰してしまう。
ものすごいインパクトでした。画像も線が多くてリアルで怖かったし。
当時だからこんな表現ができたけど、今じゃ「環境破壊」「動物虐待」とかいってダメなんだろうなあ。
 

タロスが単純です。
ポセイドンからトリトンのことをやっつけるように聞かされ、
「トリトン、ソレハワルイヤツナノカ」と聞く。
でもこの単純さが悲劇になるのです。
その昔ポセイドンによって甦ったタロスは、命の恩人としてポセイドンの言うことをきく「ロボット」に近い。
この、海底にバラバラになっているタロスの映像をみて、どうしてバラバラになったのかな、
モトネタはギリシャ神話の「アルゴ丸の冒険」だから、魔女キルケによってやっつけられたのかな、
それとも、この話の中のオリジナルネタがあって、昔の戦いでドジをして、バラバラになったままなのかな、
もしかしてオリハルコンのエネルギーで動いていたとか、タロスの「前世」を色々考えてしまったのでした。


マゼラン海峡までたどり着いたトリトン達。
「ここを越えれば、もう、大西洋さ」
トリトンのセリフに「やっとここまできたぞ」のうれしさが込められています。
ここのアップがとっても大人っぽい顔です。(好み♪)
氷にすがりつくピピがかわいい。寒さに強そうだ。(爆)
ピピは毎回活躍がないので、後半は「ヒロイン」役に徹しております。
ここのBGM,17話のラストで使用されていたピアノ曲です。とても明るく爽やかなイメージがします。

で、海峡にはいると入り組んだ迷路のようで出口がわからない。
ここは大西洋への近道ですが、狭い海峡で断崖絶壁が立ちはだかり航路の難所としても知られています。
トリトンは崖の上に上って上から水路を見渡すことを思いつき上り始めます。

しかし、トリトンはツヨイ!
こんな崖をロープも何もなしに登るなんて!!
ポセイドンとの戦いで筋力が鍛えられたのでしょうか(^^);;;
でも途中で足を滑らせ、冷や冷やするシーンも。でもナントカ切り抜け、いかにもしんどそうに
「よっこらしょ」と上がるトリトンがかわいかったです。

で、見渡すとなんだか大きな顔のようなものが・・・!!
これはびっくりするよ!思わず目をこするトリトン。でもすぐ霧に紛れてしまう。
で怪我をしたペンギンを見つける。
ペンギンの子は「人間」の姿をしたトリトンをみて逃げ出す。
慌てておいかける。そして崖から落ちそうになるペンギンを掴んでロープからぶらさがる。
 

・・・なんでココに都合良くロープがあるんだよ!
ちびっと、いやかなり「ご都合主義」を感じてしまうのでした。
でもそれは後半タロスと出会うために「前置き」として流した、という風にみてヨシとするか。

ペンギンの手当をしてやるトリトン。
おーい、包帯はどこからもってきたのかな?
もしかして、チュニックの裾をやぶったとか?・・・そうするとトリトンは動物を助けるたびに裾が短く
なっていって、ちょっとあぶない・・・・(オイオイ、何を脱線してるのじゃ!)
なんか、ちょっとツッコミたくなってくるんですよね。
この辺が「子ども向きTVマンガ」ですよね。

でも、ここのトリトンはとっても優しいお兄ちゃんだぞ♪
で、ペンギンを優しくだっこして、おんぶなんかしちゃうトリトン。ますますうるわしいおにいちゃまだゾ♪
背中にいるペンギンより、嬉しそうなトリトンの方がかわいかったです。
あ、そういえばこのペンギンの子も名前がない。・・・・かわいそうなゲストキャラです;;;

それでもってペンギンから「タロスはペンギンの守り神」だときく。
「神様」だともいうので「神様なんているのかい」なんて軽くながすトリトン。
・・すると大きな巨人が突然現れる・・・!!
さっき顔だけ見えた巨人だ!これが青銅の巨人タロスだ!
うーん身長50m、体重1000トンというところでしょうか????
青銅だから重そうですね。・・・とにかくでっかい。
BGMも緊迫感があってとってもイイです。
 

でっかさと異様さに警戒するトリトンだが、ペンギンを助けたことを聞いたタロスが「友好的」に 手を差し伸べてきたのを信用して手のひらにのる。
とにかくでっかい!トリトンがすっぽりはいってしまう。

しかし、トリトンが自分が「トリトンだ」と名乗ったとたん、態度が急変する。
だからぁ、「シンジ」とか、「ピーター」とか言っとけっての!!
真っ正直なトリトンがかわいいというかマヌケというかなんというか。
タロスは トリトンを押しつぶそうとする。ペンギンの子の制止もきかず、「ポセイドンサマハイノチノオンジンダ。ポセイドンサマニ、オンガエシヲスルノダ。」と決めつけ、攻撃する。

ここでも「悪」と「善」の微妙な逆転というか、立場がちがうとそれぞれが「悪」にみえるという構図がある。
タロスは単純にポセイドンの命令を守っているだけなのです。
でもそれはペンギンたちには悲劇。怒りの鬼と化したタロスは自分を発熱させ、周囲の水の温度を
上げてしまい、ペンギンたちをも焼き殺してしまう。

タロ〜ン!!


ペンギンから見てもトリトンが来たばかりに優しい守り神のタロスが豹変し、悪魔のようになってしまって、
トリトンが「悪」になってしまう。
「わしらの守り神は悪魔だったんじゃ」
ペンギンの長老の言葉が重いです。
ここでも「善」と「悪」の逆転の構図があります。
うーん、逆転というか善と悪の相対化というもの。
富野さんの作品に流れる一貫したテーマが見え隠れします。

トリトンはオリハルコンの剣を抜いて対抗するが、相手も熱を出すので効果がない。
疲労し、オリハルコンが白くなってしまう。
そのうちペンギンたちが次々と犠牲になってしまう。

トリトンはなんとか崖に登ってのがれる。
そこにペンギンの子がトリトンにタロスの弱点を伝える。
「タロスの弱点はくるぶしの栓だよ」
その言葉に逆上したタロスがペンギンの子を拳でつぶしてしまう!
とてもショックなシーンで、タロスが本当に「悪魔」になってしまった一瞬でした。

トリトンの怒りも爆発。
崖からとびおり、タロスの拳の攻撃をなんとかかわし、水中からくるぶしの栓を狙おうとするが、
逆に蹴り上げられてしまう(うぐぐ、ここ、苦しそう;;;)

でも足の上で力をふりしぼり、くるぶしにオリハルコンの剣をつきたてる。
栓が熱でとけ、そこから緑の血液のようなものが流れ出す。
ゆっくりと倒れていくタロス。
悲鳴のような叫びが哀しい。
 

「ペンギンの子が・・・」
つぶれてしまったペンギンの子をみて涙するトリトン。
こういうところ、好きだな。素直だな。戦うトリトンより涙するトリトンの印象がつよいのは、こういう
感情表現がさりげないからかもしれません。好きな演出です♪
そのトリトンの上から降ってくるタロスの緑の血。
トリトンの涙の描写のあとだけになんだかこれも涙にみえてきちゃう。
バラバラになり、また海底に沈んでいくタロスの身体。
眼から出る泡がまるで涙のようで、これまた「悲劇」の演出。
なんか、表だって泣けないけどじわじわと悲しみがつたわってくるような演出です。
悪いヤツをやっつけた、という「爽快感」がない。

こういうの、「トリトン」の世界に多いですね。
「詩情」があふれているの。それも悲しみの。
なんなんでしょうね、この「悲劇性」。脚本の方の好みでしょうか。
富野監督の感性でしょうか。
いずれにしても深く心に残る話です。
一歩間違えれば「トラウマ」になりかねないですね。
 

私はこの話の「よい子バージョン」を考えてみました。
で、ラストは、
「タロスはトリトンのオリハルコンの剣のおかげで、悪い血をぬかれ、すっかりよい巨人になりました。
ペンギンたちも『タロスがまた神様に戻った』と大喜び。
タロスはペンギンたちの守り神としてずっと幸せにすごしました。」

・・・・・・とか、ならないのでしょうか。
もはやパロディにしか聞こえませんが、そうなっても別にかまわないし、 一つの外伝としておもしろいのに。
絵本にするなら、ここで手を振って見送るタロスと笑顔で答えるトリトンが描かれるのでしょう。
こういう期待をする視聴者をすべて裏切る表現になっています。
そういう甘い期待を持ってみる方が間違っているのか。
その方が印象には残らないかもしれないけど、子どもの心に「傷」はつけないですむのです。
よく昔のアニメを一生懸命見ていたのに、詳細を忘れてしまったというのは、こんな風に「ひっかからない」
様に作られているからではないかと思うのです。
どこかで読んだのですが、10歳ぐらいまでの子どもには「ファンタジー」の世界というか、めでたし、めでたしの
話を見せておいた方が情操豊かになり、世の中に絶望を抱かなくなり、深刻な「葛藤」を描いたモノは思春期以降に見せるのが「健全」なのだそうです。
あまり小さいときに善悪の判然としない物語を見せると心が動揺して混乱するそうです。
「海のトリトン」はこのパターンでいうなら、「少しお兄さん向け」のお話ですね。
当時与えられていた児童ものに物足りない世代が飛びついたのもわかる気がします。
それと葛藤の物語を子どもに見せようとしない傾向もあるし。
でもホントに(当時の)視聴対象だった幼い子どもにはどう映ったのでしょうか。
「こわい、気持ち悪いお話が多くて、トリトンがかっこよかった」だけ残っちゃう可能性も大ですね。

トリトンファンにはこだわりの多い人が多いのもなんだかそういう「すっきりしない部分」にひっかかってしまったからかも・・。
もし放送倫理委員会とかいうものがあれば真っ先にひっかかって「放映中止」か脚本変更になっていたでしょう。
あまり清廉潔白で、めでたしめでたしで毒気のない「よい子向け」のものばかり放映しろとはいいませんが、
このお話はかなり「空しさ」「悲しさ」のただよう話になっていて、自分が当時親だったらどう思っただろうか、
と心配です。
つぶされるペンギンの子、バラバラになって崩れていくタロス、何もできないトリトン、と「哀しさ」ばかりが印象深いのです。
でもそんな「葛藤」の物語を送り続けたスタッフの人々の「意欲」「勇気」に改めて感謝してしまうのです。
 

ようやくルカーたちと合流したトリトンだが、ピピとフィンがさらわれたと聞き、大西洋を目前にして
太平洋に引き返す。
そして、かっこよく救出にむかうトリトンを描いてエンドマーク。
この回では「かっこよさ」の目立ったトリトンでした。
かっこよく、というよりタロスに感傷してるヒマもないほどトリトンはせっぱ詰まってるのよね。
それがまたいっそう切ない。
トリトンの行く手にはこういう非情なやりとりがまた続くのかと思ってしまう。
このあと、かわいそうなペンギンのコトをルカー達に伝えたのかな、と余計なことをついつい考えてしまうのです。
 

それとこの話でもトリトンはルカー達とはなれて一人でタロスと対峙してる。
こういうパターンが多いのはタロスの出現に象徴される「神話的要素」の現れなのかも。


このモトネタ映画の「アルゴ探検隊の冒険」に出てきた映画のタロスはもっとやせぎすで、
老人くさいイメージがありましたが、このタロスはやっぱり造形的にかっこいいです。
羽根さんの造形センスが憎いです。
出来ればトリトンの味方になってほしかった、タロスなのでした。
 

↓オマケ

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