◆第27話の感想(長文失礼)◆
(物語中のセリフは太字で示しています。)

とうとう最終回です。泣いても笑ってもこの回で「トリトン」の話はおしまい。
ああ、いやだいやだ。終わって欲しくない。でもどういう結末なのか見てみたい。
そう思って見た最終回でした。

冒頭のナレーションが、とってもステキでした。
またいよいよ最終回だ!とかまえて見ている自分を軽くなだめるような感じもありました。
なんというのか、「海のトリトン」という物語がずっと語り伝えられている伝説そのものであるような印象をうけました。
このナレーションの中で「ヘラクレスの柱」という言葉を初めて知りました。
現在の大西洋の入り口のジブラルタル海峡のことをさすのですが、その昔英雄ヘラクレスが世界を背負っている アトラスとの出会いのあと、この世の果てがここであるとして2本の柱を立てたというギリシア神話のエピソードが あるそうです。
こういったギリシア神話の一説がさりげなく出てくるアタリがとてもいいです。

タイトルバックの音楽がいつも違う曲だったので、あれ?と思ったことを覚えています。
そして「やっぱり最終回だ、いつもとはムードがちがう」と感じたのでした。


さて、場面は一転して暗いポセイドンの神殿。音楽も重々しく、神殿をまもるゲルペスが慌ただしく動き回ります。
トリトンもなんだか雰囲気が大人っぽいし、セリフが時代劇みたいでなんだかパターン的。

これまでの回とは明らかに印象が違う。余裕がない。
なんというのか、最終回のシナリオどおり、というか(当たり前なんだけど)アドリブっぽいセリフとか、
登場人物の性格描写とかそういうのを描くゆとりがなくて、またそれがこの最終回で重大な秘密があるんだ、
という印象があって、ずっとこわかった。
 そしていくら原作の結末を知っていた自分でも、これは原作の通りにならないだろう、と思ってました。
でももしかしたら、やっぱり原作のように、この話でトリトンは殺されるか死んでしまうのではないかという恐れも
あってとてもこわかった思い出があります。
  ホラーでもスプラッタでも幽霊話でもないのにこわかった。不思議です。

ここでもピピは徹底的に脇役です。
法螺貝でぽこぽことゲルペス連隊をやっつけるシーンは、あまりにギャグっぽくてしらけました。
それほど、この最終話は、緊迫していて、こわかった。
この時点でピピの脱皮話はもうないな、とあきらめました。

ポセイドン神殿にトリトンがやってくるとき、クラゲが「トリトン、キタ、トリトン、キタ」と何回も繰り返すのが
緊迫感を盛り上げていた。数えてみるとなんと12回も言ってる!(数える方も数える方だ)
でもものすごい演出だと思ったです。

ゲルペスとの戦いはトリトンがとても「大人」に見えた。

「ポセイドンが海を荒らさなければ、『トリトン』は戦いはしなかったんだ」

「トリトン」と言う言葉を「トリトン族」の意味で使っています。
自分はトリトン族の代表である、ということを強く自覚しているからこその言葉でしょう。
また、自分自身という意味でもあるのでしょう。

この時以外は3話で使ったきりです。ずっと「トリトン族」だったのに。

「オレは戦いたくなかったんだ」とすると、個人的な戦いの意味になってしまって、広がりがない。
全くセリフ一つに奥深いものを感じます。
それにとてもかっこよかった表現なので、よく外伝や続編に使いました。

   

両親を殺したとつげられ、怒るトリトン。当たり前。ワタシも怒ったぞ。
ワタシは最終回でトリトンの両親がどこかに人質として捕らえられてたのではないかと思ってたのです。

せめて感動の対面ぐらいさせてあげてホシカッタ。うるうる。
だって、あれだけ物語の中で「両親、両親」っていってたから、最終回には「本物」が登場すると思ったのです。
くすん、イメージだけでも登場して欲しかったぞ;;;
とにかくこの話は子どもの期待をすべて裏切る結果になってるので、それであまのじゃくの自分はファンとして 長続きしてるのではないかと思います(爆)
ゲルペスはトリトンのコトを父親にそっくりと言ったけど、どーみてもお母さん似だよ。トリトンは。
「戦士」として似てるってことかもしれないね。
トリトンの父もかつて壮絶な闘いをポセイドンと繰り広げたのかも。

ゲルペスとの闘いで背景が暗転して暗闇の中でオリハルコンだけが美しく光る。
ものすごく印象的な闘いのシーンです。トリトンが上下左右自在に動いているのがいかにも「海の中」でいい。

「なんと恐ろしい光だ。あの輝きをみていると・・・命があの輝きに吸われていくようだ」

ゲルペスはオリハルコンに耐えられなくなり、神殿に逃げ帰ります。
そしてトリトンは神殿の近くでオリハルコンを輝かせ、ゲルペスをかき消してしまいます。
その光が神殿の中のポセイドンに届きます。
トリトンは神殿に踏み込み、遂にポセイドンと対峙します。
そのトリトンにポセイドンは「頼み」ます。

「短剣をおさめよ。」

そんな、武器をひっこめろ、だなんて聞けるワケないでしょ!
そしてポセイドン像が遂に動き出します!!こわかったよ〜〜!!

「短剣をおさめねば恐ろしいことになる」

「覚悟の上だ」

「お前ごとき子供にオリハルコンの本当の使い方は判らぬ」


それってずいぶんバカにしてんじゃん!と怒りました。
でもよく考えれば当然、ポセイドンにとってトリトン族の13才の子供なんて邪魔物でしかないのです。
トリトンは私たちから見れば立派なヒーロー、でもポセイドン族側から見れば、訳のわからないまま、武器をふりまわしている「子ども」にすぎない。
なんというのか、ポセイドン側の視点というか、「ふん、おまえなんか」というような気分が伝わってきてワタシとしてはショックでした。TVのアニメで敵側の見方を具体的に感じたのがこれが初めてです。
ただやっつける対象としてでなく、裏にすごーい事情がありそう、と感じたのは。

そしてポセイドンの言葉は懇願から悲鳴のように変わります。

「それ以上は近づくな、近づかないでくれ」

しかし一匹の鮫が神殿になだれ込み、トリトンはそれをオリハルコンの光でやっつけます。
ついに像が大きく動き出し、神殿の屋根をぶち破ります!!
ぎゃああ〜、像が動いた〜〜、暴れた〜っっ、こええよおお〜〜;;;;
ホントにこわかったですっ!


「オリハルコンの輝きをみせてくれたな〜〜!!」

「我々は・・・お前をオリハルコンの剣を呪って死んでいくぞーー・・・・」

なんて恐ろしい言葉なんだ。
放映当時はウッカリ聞き逃していたけど、これってトリトンにトラウマにならないだろうか。
この時点で地下にいた人たちはもう死んでいたのでしょうか。
でも視聴者にはこの時点では何もわからないよ!
ポセイドンが文句言ってるだけ、と言う印象でしかない。

「こいつじゃない、しゃべっているのはこいつではないんだ」

良く気がついたねー。パニックなのにさー。うち、わからんかった(^^)
それでもって剣をしまっちゃうトリトン。すごい自信が窺える。なんかすごく大人に見えたぞ。

像の動きが止まる。像のあったところにぽっかりと穴。
そこにおりていこうとするトリトン。止めるルカー。

「本当の闘いは、ポセイドンの秘密を解き明かさない限り、終わりはしないんだ」

ここでルカーが一緒に付いていかない。というよりいけない感じがする。
でも私はこれは「トリトン」と「ポセイドン」の戦いなのだからトリトン一人で決着をつけるべき、と考えていたので、
違和感は感じなかった。
22話のアーモンの島や、24話のゴンドワナののど、25話のゴルセノスの洞窟でも結局彼はたった一人で
敵のただ中に入り、そして脱出してくる。そのパターンを見事に踏んでいる様に思う。
「海のトリトン」は結局トリトン自身のお話。ルカーやピピは重要だが、やはり脇役でしかない。

下降していくトリトン。街の遺跡が見え、降りると人々が倒れている・・・。
小さな子どもを抱いたまま死んでいる母親らしき女性の姿が痛々しさを強調している。
初めて見たとき本当になぜ人が死んでるのか理解に苦しんだなあ。
昔のアトランティスの人達?
それにしては生々しすぎる。
さっきまで生活していたみたいだよね。この感じだと。

それと23話でもふれたけど、トリトンはまた「死人」と対面してる。
ポセイドン族といえど、この人たちは「非戦闘員」だから、場合によってはトリトンの味方にもなったかもしれない。 先祖も同じだし。
トリトンはまた「仲間」を失ったことになる。行く手には死者ばかり。とても悲しい事実です。

「トリトン、これがお前の犯した罪だ」

この時点で地下に倒れていた人のことが良く理解出来なかった私は、トリトンがこの人達を殺したワケじゃないのに、なんで「罪」なんだよ!と怒ってました。
私はアトランティス大陸沈没当時の状況がそのまま保存されているのか、とうっかり勘違いしていました。
理解のおよばない小学生を無視してストーリーは続きます。

競技場(広場)の様なところに椅子に座ってこときれている老人。
何となくポセイドンの神像と似ている・・・。私はこの老人が起きあがってくるのかと思った;;;
実際には法螺貝からのメッセージ。
これも悩んだ。ということはこの老人は死んでいるんだ。
でも声がトリトンの質問にこたえている。
だから「魂」があってそれがこたえているわけ?精神感応ってやつかな。 ・・・しっかりオカルトだねえ。これは。

「我々は人身御供として・・・」
「生け贄にされた人々の一部がオリハルコンのエネルギーで生きながらえた・・・」

うう〜ん、ポセイドン像を作ったのって結局トリトン族側のアトランティス人だったのかい。
ああ、設定の「アトランティス人がトリトン族を作り出した」ではなかったんかい。ああ、ややこしい。
因縁話の金色の法螺貝の説明がワタシにはよくわからなかった。
ポセイドン族がトリトン族を亡き者にしようとしたのは、自分たちを破壊するオリハルコンを手に入れたかったから、といってたけど、だからといって、トリトン族を虐殺しようとした罪って消えるもんじゃない。


私が聞きたかったのはポセイドンの愚痴ではなく、オリハルコンの由来(制作過程)とか、トリトン族って人工的な
種族なのか、自然発生的に生まれたものなのかという具体的な事実でした。
トリトン族とは何かってことですね。
同じアトランティス人なのだ・・・でもアトランティス人って何なのよっっ(怒)
アトランティスが地上にあった時点の具体的な映像が欲しかった!!
幼かったワタシには(今でも幼いが;;)その説明は曖昧な印象で、結局闘いをトリトン族のせいにしている、と言う印象でしかありませんでした。

「オレは・・」

何度もいいかけて淀むトリトン。
何をいいたかったのだろう?

「オレはただ・・・」

ああ、もどかしい。ただ・・何?  ・・・きっとこうだと勝手に考えてみました。
「ただ、自分のことが知りたかっただけだ。」
「トリトン族が何なのか、何で戦うのかって・・・」
「オリハルコンを作ったのは誰なんだ」
「なぜトリトン族しか使えないんだ」
「ポセイドンを倒す以外に使い道はないのか」
そうだよ、理由を知ったら、戦うワケないじゃない。
もっとトリトンに教えてやってよ、けち!
トリトンは賢くていい子なんだから、アンタたちよりましな解決法を考えつくわよ、きっと。

でもホラ貝の声はトリトンを責めます。

「やっと生き延びた一万人足らずの我々を殺すためにお前は戦った。」

そしてさらに総ての責任をトリトンに負わせます。

「ポセイドンの像を動かしたのもトリトン、お前だ。
我らポセイドン族をすべて殺したのもトリトン、お前だ。
像を倒さぬ限り世界が破壊されるようにしたのもトリトン、お前だ!

「ちがう!みんなポセイドンが悪いんだ!」

あったりまえだ!トリトン君、君は正しい!!
「トリトンは理性を失ってわめいてしまう」という説明がどっかにかいてあったが、こんな時に「理性」なんてある方がおかしい。そんな演出を求める方がオカシイ。他にどう対応しろというんですか。
 当然の反応じゃないか。「そうです。僕が悪いんです。罰してください」なんていう方が気味が悪い。
追われて追いつめられて殺されそうになって必死に自己防衛する子どもに、お前の先祖が悪いからこうやって
殺すんだなんて「殺す側の論理」は通用しない。
 いたいけな少年を非情な兵士に仕立てておいて、それで力を付けてきたから殺すなんて、勝手な思考は許されない。

ポセイドン、アンタの方が性悪だ!視聴者もだまされるんじゃない!
ポセイドンに同情するんじゃない!(オイオイオイ・・・冷静になりたまえ・・・)
敵にも理由がある、なんてもっともらしい「優等生」的な納得の仕方をするんじゃない!
何千年も憎しみ続けるなら、そのエネルギーを共存か平和的利用に向けんかい!!
もっと最終回を3回ぐらい用意して、充分視聴者を納得させる論理展開の話をせんかい!
・・・と制作者側にいいたくなります。
とにかくポセイドン側の論理に「身勝手」なものを感じました。
時間がなくて説明不足、と言うのもありますが、もう少し、なんとかならんかったのかねーー。
多くの人が外伝や続編を作りたくなるワケがわかりますよ。

こうやってかいてみて思ったけど、やっぱりこれは「戦争」の批判ですね。
富野さんが第2次大戦下、もしくはその後の「敗戦」の異常な状況の日本を経験した少年としてとらえると、
このトリトンの置かれた立場がよくわかる。敵を憎め、やっつけろと教えられ、正体も知らされないまま戦わされ、
それで、最後はおまえの国が悪いことしたのだ、と敵から教えられる始末。
冗談じゃない、攻めてくるアンタの方が悪いんじゃないか、といいたくなりますよ。
間違ったことをしてるのなら、戦いでない方法で教えてくれって。
一番悪いのは戦争を回避せず、戦いに追い込んだ国の責任者じゃないか。
(でも「責任者」という犯人を追うのではなく、社会そのものだということがいいたい)

どっちが悪い、という小さな論理ではなく、戦いそのものをさけられない人間の社会の「悲劇」のようなものを感じます。

・・・でも、「戦う」という手段しか、ないからこそ、こういう悲劇が起こるのでしょうね。
トラブル解決にはまず力でねじ伏せて、それでいうことを聞かせる。
それが強者の論理、勝つ側の論理。でも踏みにじられた方の心はどうしてくれる?
そんな思いをうまく表現した演出だと思います。

ポセイドン像は暴れまくり、「トリトンよ・・」と何かいいたげな法螺貝も踏みつぶしてしまいます。
ああ、非情な演出。
何をいいたかったのかねえ。
「トリトンよ、この状況を救えるのはお前だけだ・・」
「お前はこの轍を踏んではならない」とでもやってくれて、オリハルコンの「正しい使い方」を教えてくれれば
救いになるものを。

そしてこの話ではポセイドンは倒すべき大いなる敵ではなくただの懇願する哀れな老人になってしまっている。
普通はこういう話では強大な敵を倒し、その力を取り込むことによって主人公は成長し、「大人」になるのですが、
ポセイドンの力が落ちてしまってはエネルギーは小さくなってしまいます。

以前読んだユング心理学の本の一つに、 男性の4つの元型を紹介したものがあり、それは、
「王」「戦士」「魔術師」「愛する男」だそうで、物語では段階をふんで獲得していき(順忘れました;;)
最後に「愛する男」になるのがまっとうな生き方なのだそうです。
「愛する男」というのは 恋人や家族を大事に思いそれを守るために命をかけるというようなことです。
また次の世代(自分の子どもに限らない)を育てることも含まれます。
それになるためには強大な王を倒して自分がその地位につかなければなりません。
でも強大な王が哀れな老人になったら・・・・?
この後の「成長」に影響が出るのでは・・・?と心配したくなります。

「この短剣がポセイドン像にうち勝つのなら・・・」

トリトン君、君って賢い!
あの回りくどい説明が良くわかったね。台本しっかり読んだのかい??(^^);;
つまりオリハルコンそのものを破壊しなければ、この悲劇は終わらない、ということに気づいたみたいですね。
・・・・ああ、でもそれってオリハルコンの破壊と共にトリトンの命も消えるってこと??
いやだーー、そんなの、死んだらあかんーーーっ。

ポセイドン像が光る。トリトンの持つ短剣も輝く。そして引かれていくトリトン。
ここはこわかった!もうホントにこわかった!!トリトンも茫然と引きずられていくだけ。
こりゃ、なんとかせんかい。セリフがないっ!余計不安だっ。
そして剣を振り下ろすポセイドン像。
ああっ!トリトン、あぶないいいっ!(いちいちウルサイやっちゃな!)
本気で切られてしまうと心配した私。
ポセイドン像の首に剣を突き立てるトリトン。ホッ。生きてた。
この期に及んでまだトリトンが死ぬ、死ぬ、とびくびく心配ばかりしてたワタシってバカね。
唸る神像。お互いの輝きがぶつかる。
ここもこわい。時間が長く感じた。

トリトンが剣から手を離す。
・・・・あれっ・・・そんなのあり・・・??
悲鳴の様な声をあげながら、像の側を離れるトリトン。
これっておびえてるって感じで、ちょいいや。
「逃げる」と言う風にしか見えないトリトンの描写がいや。でも誰でも逃げるか、あの状況では。
戦いを挑んで「生き残る」というシチュエイションにして欲しかったような気もする。
ゆっくりと倒れる像。程なくおこる大爆発。崩れる街の遺跡。吹き上げる溶岩。
多分トリトンは予想していたのでしょう。こうなることを。2つのオリハルコンが出会えば破壊しかない。
だから逃れたのです。

オープニングの映像。吹き上げる溶岩に水平線。思わず「海のトリトン」の文字が飛んでくるのかと
予想しちゃった;;;ちょっとビックリ。
オープニングの演出をした時からこの最終回は予想されていたのか。
あくまでも「予定」の話で演出だったのか。
当たり前だといわれればそうだけど、あまりにも出来すぎのオープニングの映像の意味。そうか「誰も見ない未来の国」ってこのことだったのかな??
「遠く/旅立つ/ひとり」ってこのラストの意味だったんだろうか。

そして又心配。トリトンどうなったの???
続いてイルカに支えられて浮上するトリトン。
あー、良かった、ちゃんと生きてたんだ。(ホントに心配性だね!主人公なんだから死なないでしょ!)

海上にでるイルカたち。ルカーの上に器用に乗るトリトン。
髪をかき上げるトリトン。
うう、大人っぽい。

・・・何か言ってよ。何かセリフしゃべってよ。
トリトン、あなたの声がききたい。
「もう闘いは終わったんだ」そういうありきたりのセリフでもいいよ。何か言ってよ!!

もう話なんか、どうでもいい。
トリトンという少年に参っていた私は、トリトンに何かいってほしくて仕様がありませんでした。

この話ではトリトンの気持ちが表現されていません。
でもこのつらい現実を彼は受け入れたのだ、と言うことだけはわかります。

なぜなら、彼は「生き残っている」のだから。

自分から自滅的な闘いをするわけでもなく、自殺もせず、殺されもしない。
そしてラストは何もいわず、旅立っていった。
ポセイドンへの恨みを表現するわけでなく、自分を反省する言葉もいわず、ただ旅立っていった。
そしてオリハルコンのないトリトンの表現。
彼はもう戦いによって暮らす生活は捨てたのです。

それが一番の「トリトンの気持ち」の表現だと思うのです。
あのような復讐に復讐を重ねたような闘いはもうしないのだ、と。

それと「その後」を考えた時、このトリトンだけが聞いた衝撃の事実はトリトンは自分一人の胸にしまって
ピピやルカーにさえ言わない気がします。
それが重い事実を経験した「大人」の反応だと思います。
ファンがよく理解出来ず、本当はどうなの?といつまでも繰り言を述べるのは「子どもっぽい」行為なのかも
しれません。
トリトンは姿は少年だけど、とっくに「大人」になっているのです。

よく感想の中で「成長にマイナスポイント」という点をあげましたが、内面はとっくに大人なのです。
ただ、正常な成長ではないかもしれません。

だけど視聴者が思うのは少年の姿のままなのですが、それがギャップになり、それぞれに成長したトリトンの
姿を思い描くことになるのかもしれません。


基本設定では「オリハルコンによって開く秘密の扉。目もくらむような大団円!」とありますから、設定を書いた人が富野さんでないのは明らかです。
初めはポセイドンを「悪役」「敵」として明確に倒すような設定があったのだろうと思います。
設定を見るとポセイドン族=異民族とありますから、同じアトランティス人なのだ、という設定は企画書とは違う
富野さん独自の解釈ではないかとも思えます。

またトリトンを英雄伝説のパターンにのっとった物語だとすると、このポセイドンの地下都市への下降は「冥界下り」を意味します。
英雄は、生きて冥界(死者の国)におり、生きて冥界から帰還するのです。
企画で「トリトン」を「オデュッセウス」にした、とされていますが、その中でもしっかり冥界への旅が用意されており、死者の繰り言を聞いたあと、オデュッセウスは生きたまま、冥界から帰還します。

また、企画や設定では「少年版オデュッセウス」というコンセプトのトリトンでしたが、最終話でのトリトンはオデュッセウスよりは悲劇「オイディプス」になっているのではないかと思います。

 オイディプスは実の父を、父と知らずに殺し、実の母と、母とは知らずに結婚し、子どもまでなしたたとされるギリシアの英雄です。なんでそんな破廉恥な奴とトリトンを一緒くたにするのだ、と怒る前にチョット聞いて下さい。

 オイディプスはテーバイの王子として生まれましたが、息子に殺されるだろう、と言う信託を受けた父ライオースに捨てられ、コリントス王子として育ちます。成長したオイディプスが神託を求めると「お前は実の父を殺し、母と結婚するだろう」という結果が出て、コリントスの王子だと信じていたオイディプスは、両親との接触をさけるため、コリントスを出て旅に出ます。その途中、道を譲る譲らないでもめ事になった男を殺しますが、それが他ならぬ 父ライオースその人だったのです。テーバイの地に入ると、スフィンクスという化け物ががでて人々が困っていて、倒した者には王が死んで未亡人になっている王妃イオカスケを与えるとされています。オイディプスはこれに挑戦し、英知をもって見事スフィンクスを自殺に追い込み、実の母と知らずに イオカスケと結婚し、子どもも4人生まれます。
 やがて、この呪われた婚姻は神の怒りを買い、テーバイの街には疫病がはやります。
お告げをきくと「先王ライオースを殺した犯人がつかまっていない。探し出して罰するべし」と出ます。
オイディプス自身も必死に探しますが、わかりません。しかし、昔オイディプスを捨てた羊飼いと言う人物があらわれ、オイディプスがライオースの子であったことが判明します。オイディプスは衝撃をうけ、イオカスケは苦しみの
あまり自殺します。
オイディプスは自らを罰し、目をつぶして盲目になり、放浪します。

・・・引用が長くなりました。
 ここで言いたいのは、オイディプス自身が何も知らなかった、ということです。
またライオースが幼かったオイディプスを捨てたのは神託のせいですが、それもライオース自身が若いころに犯した同性愛関係に関する過ちからきており、(無理に関係を迫り、相手を死なせています 。そしてその家族からの「末代までの呪い」をかけられるのです。)
オイディプス自身に罪はないのです。
 また、オイディプスは山に捨てられ、狼に食われる運命でしたが、預かった羊飼いが捨てるに忍びず、コリントスの王家に預けたので助かったのです。これもただ、目の前の赤ん坊が可哀想だ、と言うごく普通の感情から来た
行動であり、他意はないのです。

  真実を求め続け、たどり着いた果ては自分が全て厄災の種だったという悲しい事実。
しかし、彼は何も知らなかった・・・。一番悪いのは誰?と言う犯人探しをしても意味があまりない。
それぞれが運命を逃れようとして必死に動いた結果が、ただ神託を実現するだけだったとは。
人はやはり「運命」から逃れられぬのか。
何千年も前に設定されたストーリーなのに、未だに疑問を投げかけてくる奥深いテーマでもあります。

 トリトンもまた、何も知らず知らされず、ただ自分を守るため、海を守るため戦ったにすぎないのです。
それが罪だと知ったとき、彼もまたオイディプスの様に自らを罰し、放浪するのでしょうか?

 
 またポセイドンを倒すべき「父なるもの」と設定すると、トリトンがポセイドンを殺す(亡ぼす)のは必然であり、そのことによって彼は心理的に「大人」になるのです。そして、文字通りポセイドンに支配されていた「母なる海」を手に入れるのです。それが「海のトリトン」というタイトルの本当の意味ではないかとも思います。

 ギリシア神話の神々の名前を借りてあたらしい海の伝説を作ろうとしたスタッフ。
なのに作品の持つ世界とトリトンのキャラクターの強さに引きずられてギリシア悲劇のような奥深い作品になって しまった・・・と思うのは考えすぎでしょうか。
それとも富野監督の持つ独自の世界がこのように表現されてた、ということだけなのでしょうか。

 色々と不完全な部分もあると思いますが、私はトリトンを少年の姿のまま、生き残らせたことがこの作品の最大の成功だと思っています。実際のアイデアの一つにトリトンを死なせる、という展開もあったそうです。
(黒川慶二郎さん談)でも採用しなかった。(現実論として無理でしょう。当時の「TVアニメ」という枠での展開では。)
色々な制限や「枠」があっての表現でしょうが、結果的に成功していると思います。

 手塚治虫さんのTVの「鉄腕アトム」の最終回は地球を守るため太陽につっこんでいくアトムをえがき、
アトムは死んだのだ、と言う風になっています。
ここではアトムは自己犠牲をして、皆を守るという手塚ヒーローの典型であります。
 しかし、トリトンは生きて旅立っていった。
このラストで「海のトリトン」は手塚原作から完全に解き放たれたのではないかと思うのです。

 最終話以前の物語から感じられる、海には人魚がいてイルカがいて、海の精のような少年が海を守っている、とうイメージは手塚さんの原作からも感じられますが、そのような牧歌的なイメージよりほど遠い、壮絶な闘いの果ての「平和」である、というイメージを付加したのが、このTV版「海のトリトン」の功績ではないかと思うのです。

 放映から30年もたとうというのに、この作品の魅力が褪せないのは、こんな部分からかもしれません。

 

最後は朝日に向かって旅立つトリトンを描き、光の中に消えていく演出で終わります。
涙にくれて月に向かって海に出た少年は、いま静かに太陽に向かって旅立ちます。
色々な意味があると思いますが、とても象徴的なシーンだと思います。

「そしてまた、少年は旅立つ」

このシーンはアニメ史にのこる名シーンだと思います。

この瞬間、トリトンは「永遠」の少年となり、新しい「トリトン」の神話が始まったのです。

私はそれを今でも追い続けています。

 

↓オマケ

 

 

2 6話の感想に戻る       

 

 

感想のトップページに戻る
            

◆感想の蛇足◆

★両親が生きていたら、のIFのバージョン。
トリトン、神殿に踏み込む。奥に両親。しかしゲルペス達が剣をつきつけている。
「剣を納めなければ、お前の両親の命はないぞ」「剣を渡せ、そうすれば解放してやる」
トリトン、剣を納めて渡そうとする。
「罠だ、私たちにかまわず、ポセイドンをやっつけろ」両親は訴える。
迷うトリトン。その隙をつき、襲いかかるゲルペス連隊の一人。応戦するトリトン。やっつける。
怒るポセイドン。ゲルペスに両親を殺させる。トリトン怒り、両親に手をかけたゲルペスを倒す。
両親は苦しい息の中からポセイドンの秘密を告げ、トリトンはそのとおりにポセイドンを倒す・・・。
(もちろん、地下の都市のことは予想が及ばないので、ポセイドン像=ポセイドンと思っていた)

 


★もう一つ、考えていた最終話の別パターンがあります。
最後まで見た後の、再放送などでのやり直し最終回(?)のアイデアとして、後半に「生け贄」と言う言葉が出てきたので、
トリトンが22話の様に生け贄になって、オリハルコンで殺されてしまって、そのあと地下に捕らわれていた人がでてきて、
不思議な力でトリトンを甦らせて、そして共にポセイドン(族長)を倒す、とかアレコレ考えていました。
「私たちはだまされていたのです〜〜」とかね。とにかくトリトンは形の上でもいったん死ななければいけない、とかたくなに考えていました。