■イリアス(「イリアッド」)■

1.はじめに
2.「イリアス」の中身
3.「叙事詩の環」
4.「イリアス」その後
5.「イリアス」のスターたち
6. シュリ−マンの発掘
7. 描かれた「イリアス」
8.終わりに

 ギリシア方は青トロイア方はエンジ色にわけました。
神々の名は太字にしました。



1.はじめに

ギリシア神話関連の本を見ていると、時々「イリアス」では、とかトロイア戦争での勇士、等という記述に行き当たることがある。
またギリシア神話などを主題にした絵画や彫刻に触れるとき、「イリアス」の場面からの引用が案外多いことに気付く。「イリアス」はギリシア神話なのだろうか?それとも別の伝説なのだろうか。

日本にいるとついついなじみのないこの物語は、実は西洋では小学生の教科書に引用されるほどのポピュラーな世界である。西洋世界のふるさと、ギリシア世界を描いた最初の物語であるからだろう か。西洋古典文学を学ぶとき筆頭に来るのがこの物語である。

では「イリアス」とは何か。「イリアス」がなぜ神話を語る際に欠かせないのか。
自分自身の無知も反省しながら、順に紹介してみたいと思う。
 

 『イリアス』(英語名「イリアッド」”Iliad”)とは、 一言で言えばトロイア戦争の一部を描いた英雄叙事詩である。 トロイア戦争とはスパルタの王女の美女ヘレネがトロイアの王子パリスに連れ去られ、その奪還をめぐってギリシア連合軍とトロイア軍が10年に渡って行った闘いのことである。

 作者は「オデュッセウス」と同様にホメロス(ホーマー)とされる。成立年代も「オデュッセイア」と同様紀元前8世紀頃までにさかのぼる(「オデュッセウス」の項目を参照のこと。)
 
ホメロスは盲目の吟遊詩人とされるが、実際は「メレシゲネス」という伝説もあり、「ホメロス」と言う言葉自体が「盲人」を意味するものともされ、果たして実在の一個人であったのかどうかは不明である。
実際、作品中に異なった地方の方言や後代の挿入も混在し、作者がホメロス一人によるものかどうかは定まっていないと言った方が適切かもしれない。

まずは物語の舞台のトロイアの街の紹介から。
トロイアとは当時の小アジア、今のトルコにあったとされる都市の名で、海軍力があり、繁栄したという。「イリアス」とはトロイアの別名で、「イリオン」が語源で"Ilion"と表記される。
トロイアの街の創始者とされるイロス王の名にちなむ。イロスはダルダロスの孫トロスの息子で「トロイア」の町の名は「トロス」に由来する。「イリアス」に登場するプリアモス王はイロスの孫にあたる。
「イリアス」は「イリオン(トロイア)」の詩(うた)という意味になる。
 

 


2.「イリアス」の中身

前置きが長くなってしまった。とにかく内容。「イリアス」本編には何が描かれているのか。

物語は戦争が始まってから9年目。ギリシア軍が高い城壁に囲まれたトロイアの街を取り囲み、戦闘が膠着し、 厭戦気分がさしているギリシア軍に悪い病気が流行っている、というところから始まる。

冒頭の文句は、「怒りを歌え、女神よ、ペレウスの子アキレウスの・・・」と始まる。
どうやらこの物語の実質的な主人公アキレウスが怒っているのである。
誰に怒っているのかというとトロイア方ではなく、同じギリシア軍の総大将アガメムノンの行動に怒っているのである。

  アガメムノンはクリュセイスという娘を「戦利品」として我がものにした。だが彼女はアポロンに使える巫女だったので、アポロン神が怒り、そのせいで戦場には悪い病気が流行っていた。クリュセイスの父親がアポロ ンの怒りを解くために返してくれと願いにきたが、アガメムノンは拒否をした。
その行動を非難したアキレウスアガメムノンは逆ギレし、クリュセイスを返す代わりにアキレウスが 苦労して戦果をあげて自分のものにしたブリュセイスという美しい娘を自分の元に連れてこいという。 それに抗議をするアキレウスに女神アテナや周囲の武人が、ここは総大将のいうことを聞いておけと諫める。
  勝手な総大将の行動に切れた若いアキレウスは、今後アガメムノンに協力をこばみ、戦線から離脱すると表明する。そして母の女神 ティティスにグチグチと文句をたれる。

・・・・なんとなんと「イリアス」の始まりは女をめぐる争いだったのか!?と思うほど、初っぱなはこんなトラブルから始まる。

戦場に女性がいるのが不思議と思われるだろうが、この娘達は征服した町の娘で「捕虜」だと思えば違和感がないと思う。その女性が神に仕える巫女であったことが問題なのである。
日本でいうと伊勢神宮の斎宮(未婚の皇族の女性がつとめる神聖職)に手を出したようなものだろう。(ソレはやっぱり罰当たりな行動だ)アガメムノンはかなりの助平であったらしい(笑)

この「イリアス」の実質的な主人公、アキレウスは海の女神ティティスを母に持つ「半神」で、大変強く て走るのが速くて(「アキレス」という名の靴メーカーも彼の名にちなんでいる)オマケにハンサムで背が高く竪琴も上手く、金髪の美青年であったそうだ。( 今で言えばベッカム様のようなもんだろうか)
トロイア戦争に参加したときわずか1 6,7歳の若者だった。戦争が長引いて9年ぐらいたってるがそれでも25歳ぐらい!若いっ!(萌えポイントUP! でも彼の年齢については諸説あるのだがここでは割愛)
ただ激情家で短気で怒りっぽいのが玉にキズのようだ。 そしてよく泣く。(まるで誰かさんのようだ・爆)文中の形容詞でも「駿足のアキレウス」とか「神とも見まごうアキレウス」とかすばらしい言葉が続く。 彼の出生についてはまた後述する。

アガメムノンも実は総大将だけあって、「眉目秀麗、威厳のある人物」「剛勇の戦士」 とほめ言葉もちゃんとある。そして弟のメネラオスヘレネの元夫だが、絶世の美女が選んだだけにこの人も金髪の美丈夫だったらしく、「アレス(軍神)の寵児メネラオス」とその勇壮ぶりをたたえる記述もある。そしてヘレネをトロイアに連れ帰るパリスも美青年であったらしく「その容姿、神にも見まごうアレクサンドロス (パリスの別名)」という形容詞が見える。弓矢の腕も相当だったらしい。ただし実の兄のヘクトールには「お前は見かけだけ美しいが腰抜けだ」と批判される部分もある。

トロイアの第一王子ヘクトールも勇猛果敢な若者として描かれ、「きらめく兜のヘクトール」とか美しい形容詞がたくさんである。その妻アンドロマケーも相当な美人だったらしい。そして予言をするが聞き入れられない悲劇の トロイア王女カッサンドラアポロンにほれられただけあってかなりの美女であった。(「イリアス」の中は美女や美青年だらけらしい(爆) )

さて、本編にもどろう。

とにかく勇猛果敢なアキレウスが戦線離脱をし、ギリシア軍は劣勢になった。戦の原因となったヘレネの元の夫メネラオスと今の夫パリスが決着をつけようと一騎打ちするが、トロイアに味方する女神アフロディテの介入などもあり、勝負がつかない。 その他の神々も自分の肩入れする英雄に味方し、双方に別れて戦闘をあおり、ますます戦況は激しくなる。
このあと両軍の勇士が入り乱れた激しい戦闘を繰り広げる様子が活写され、「軍記物」のイメージを与える。ギリシア勢も一度はトロイアの城壁内に侵入するが、ヘクトールの活躍で撃退されてしまい、海岸の基地に追われる。
しかし勝負がつかず、長引く戦争に嫌気がさし、故国に帰りたいと思う者も出てくる。 しかし相変わらずアキレウスは戦線に復帰しない。
 とうとう総大将アガメムノンが非礼をわびて色々な手みやげをもってもてなすと伝え、奪った娘を返すというのに、アキレウスは聞き入れない。 その間にギリシア方の勇士は次々とヘクトールに倒されてゆく。

  見かねた親友パトロクロスが出陣しないアキレウスの代わりに彼の武具を付け、戦場にでて活躍するが、トロイアの王子ヘクトールに討ち取られてしまう。
そしてアキレウスでないことがわかると我々を騙した不埒者として遺体を汚す。その様子に怒り、親友の死に泣いたアキレウスは、出陣を決意し、女神ティティスの協力で神々の名工ヘーパイストスの作った見事な武具をつけ 戦線に復帰する。
 たちまち戦況はギリシア勢の優位になり、アキレウスは死体を挽きつぶしながら戦車を駆る程の強さで、死 者の血が大量に流れ込んだ河の神が怒ったほどであった。
 そしてついにアキレウスと、ヘクトールの一騎打ちが行われる。ヘクトールも善戦するが、無惨にも討ち取られてしまう。そして今度は親友を殺されたアキレウスの怒りのため、ヘクトールの 遺体は来る日も来る日も戦車に繋いで引きずり回される。当時の慣習ではたとえ敵でも遺体は辱めず、相手方に渡して葬儀をさせるのが礼儀であった。その様子を城壁から嘆きながら見ていたトロイアの王のプリアモス
とうとう、ギリシア軍に息子の亡骸を返してくれと 丸腰で直接頼みにいく。
息子を思う親の心に打たれたアキレウスは遺体をプリアモスに返還し、プリアモスらはヘクトールの盛大な葬儀を行う。

 そしてトロイアの陥落を予想して叙事詩は終わる。

ここで「イリアス」はおしまい。



3.「叙事詩の環」


・・・・・ここまで読んで不思議だな、パリスの審判とか言うのが出てこないし、トロイアの 物語で有名な木馬がないではないかと思う人も多いだろう。 またアキレウスも「アキレス腱」を打たれて死ぬんじゃないのか、と思うだろうが、叙事詩の中ではそれは語られず、暗示されて終わるのみである。
「イリアス」はトロイア戦争末期の数十日をアキレウスの怒りを主題に描いたものなのである。

なぜ「おいしいところ」が「イリアス」そのものにないのだろうか。

実は「トロイア戦争」の発端から、トロイアの陥落までを扱った叙事詩群があったようなのだが、現在に伝わっているのがこの「イリアス」だけなようなのだ。
これらの連作の叙事詩群は「叙事詩の環」と呼ばれる。また細々としたエピソードを歌った叙事詩群は「小イリアス」ともいう。
   その中には「アレキサンドロス」パリスの別名)という、おそらく、彼の出生といわゆる「パリスの審判」を描いた作品があったようだが、現在は伝わっていない。しかし前後の叙事詩やストーリーをもとにした「悲劇」と呼ばれる作品群が存在し、その代表が「アガメムノーン」である。 他に「トロイアの女たち」「タウリケのイピゲネイア」などがあるが、このあたりはまた別項で詳しく述べたいとおもう。

ちなみに木馬のエピソードは「続編」にあたる「オデュッセウス」の回想やローマ建国の元の英雄を歌ったローマ時代の叙事詩「アイネイアス」で語られている。
 

当時の叙事詩はこのような一連の物語の背景を聴衆が周知のものとして、叙事詩の悲劇性を堪能していたようである。
日本で言えばさしずめ「忠臣蔵」の討ち入りシーンの盛り上がりだけ上演し、その
前後の「高田の馬場の決闘」「松の廊下」 「浅野内匠頭切腹」や「内蔵助京都豪遊」「お軽、寛平の悲恋」「泉岳寺への凱旋」「切腹シーン」などがないというようなものだろうか。 (すらすらでてきてこわいぞ)
その他のものは別のものや芝居でみて下さいというようなものだろう。
これでは 初めてその場面だけ見る人にはちんぷんかんぷんだろう。
当然、当時の人々はこの物語の背景を良く知り尽くした上での「鑑賞」なので、登場人物や出来事の成り立ちなどは周知で「楽しみどころ」がわかっていたといえよう。
それほどこの話が当時の人々にポピュラーだったということだろう。
 

構成も全24巻からなるが、この24巻という分け方は後世の学者による便宜的なもので、実際の叙事詩がこのわけ方で詠唱されたかどうかは不明である。

また「イリアス」のような「叙事詩」は普通、本の形で読むものではなく、竪琴(キタラ)等の演奏をバックに「聴く」ものであった。当然文章は韻をふみ、意味不明な枕詞も多く、繰り返し表現がめだち、「読み物」として見るには少し困難がある。

日本で言えば琵琶法師の語りで聞くべき「平家物語」を目でよんで「つまらない」というようなものだろうか。


4.「イリアス」その後

「イリアス」ヘクトールの葬儀で終わっているが、その後の他の伝えるところをまとめてみよう。
トロイア城内に踏み込んだアキレウスアポロンの力を借りたパリスに「アキレス腱」を射抜かれ、絶命する。
その後も戦闘は続き、 トロイア勢が盛り返し、ギリシア方に多数の死者がでる。
なかなか好転しない戦闘にギリシア軍は神にトロイア陥落の条件をきく。
それは「トロイア城門の梁(はり)を崩すこと」「アキレウスの遺児ネオプトレモスとヘラクレスの遺児 を参戦させること」「伝説の神像パラディオン(アテナ像)を奪うこと」と出た。
 オデュッセウスアテナ女神への捧げものとして巨大な木馬を作ることを提案し、その中に自分自身とギリシア兵を隠し、他のギリシア兵はすべて海岸から引き上げ、隠れた。 いったん撤退したというように見せかけたのだ。
そしてシノンというギリシア人を残して芝居をうたせ、木馬をトロイア城内に運ばせるようにし向ける。
それを不審に思った神官ラオコーンが「これは計略だ」と進言するが、海から ポセイドンが使わした大蛇が現れ、ラオコーンとその息子を飲み込んでしまう。これぞ、神の言葉にそむいた者への仕打ちと、トロイア人はおののき、木馬を城内に引き入れる。木馬は巨大だったので、城門の梁は壊された。
  そのあと木馬に隠れていたギリシア兵のためにトロイアは炎上し、男達は殺され、生き残りの女達は捕虜にされた。トロイア王のプリアモスも殺され、カッサンドラアガメムノンの妾にされ、ヘクトールの妻アンドロマケネオプトレモスの侍女にされ、ヘクトールとの子どもは高い城壁から落とされ無惨な最後をとげる。ヘクトールの母ヘカベオデュッセウスの捕虜になった。ヘレネメネラオスとよりをもどし、エジプトに行ったとされる。( 闘いの原因になったヘレネをメラネオスは殺そうとしたらしいが、あんまり美しかったので出来なかったとかナントカ・・・ホントかな・・・)
 そしてトロイアの王族の生き残りアイネイアスが燃えさかるトロイアをあとに逃げ延び、ラティウムの土地に渡って後にローマを建国する。



5. 「イリアス」のスターたち

この戦争の発端になった美女ヘレネは、実はゼウスの娘である。

スパルタの王家にはレダという美しい王妃がいた。 彼女の美貌はゼウスの目にとまるところとなり、水浴しているとき、白鳥の姿に変身したゼウスと交わり、2個の卵を産んだ。
一方の卵からすでに夫であった、スパルタ王テュンダレオスの子、クリュタイムネストラとカストル、今ひとつからはゼウスを父とするヘレネとポリュデスケスであった。ゼウスの子である二人は不死であった。
 

ヘレネの美貌に惹かれた求婚者がたえず、そのためにギリシア中の王がおしよせていた。
( 今で言えばミス・ユニバースみたいなものだろうか。)
あまりの彼女の魅力のために誰が夫になってもうらやむことから、求婚者の一人だったオデュッセウスの提案で、父テュンダレオスに「ヘレネ自身が夫を選ぶこと、ヘレネの夫となった者の身の安全を全員が保証する 。何かあればギリシア中の諸国の王がかけつける」という誓いを求婚者に立てさせた。(彼はこの「功労」でヘレネの従姉妹に当たる美女ペネロペを妻としている→ちゃっかりもの)
そして、ヘレネが選んだのはメネラオスであった。
彼らの間の中はむつまじく、やがて娘へレミオネも生まれた。

ある時トロイアの王子パリスがこのスパルタを訪れる。

以前彼はイダ山で羊飼いをしていたとき、3人の女神ヘラアテネアフロディテのうち、一番の美しい女神は誰かという審判をくだすように言われる。ヘラは地上の王にすると約束し、アテネはどんな闘いにも勝てる武勇を授けるといい、アフロディテは世界一の美女を与えると約束した。
これが有名な「パリスの審判」のエピソードで良く絵画の主題にされる。

パリスは世界一の美女を与えるとしたアフロディテを選ぶ。アフロディテの配慮でパリスはスパルタにいくきっかけを作ることが出来、 出会ったヘレネと「神の配慮」で恋に落ちる。(それに人妻だったので余計に美しく見えたとか!?)そして多くの財宝と共にトロイアに連れ帰ってしまう。夫のメネラオスはクレタ島に葬儀の為出かけていた留守だった。
  当然スパルタはヘレネの変換をトロイアに要求するが、トロイアはこれを拒否した。
数年後、メネラオスは父テュンダレオスがたてた誓いを理由にギリシア中の王をたばね、兄のアガメムノンを総大将にしてトロイアに攻め入った。

 

さてギリシア一番の英雄アキレウスの出生も「神話」に彩られている。
アキレウス女神ティティスと人間の英雄ペリアスの子。ペリアスは海辺で 美しいティティスを見かけ、求婚し抱きついたが、女神は抵抗し、大イカ等に化けて逃げたが決してペリアスははなさず、根負けしてティティスペリアスの花嫁になった。(しかしイカになった美女を追い かけるか?フツー?)
この結婚はあらかじめ用意されていた者だった。
実は大神ゼウスも海神ポセイドンティティスに引かれていたのだ。だが解放されたプロメテウスからティティスとの結婚はゼウスを越える者を生み出すという予言をきき、ティティスをあきらめることにして、人間の求婚をゆるしたのだった。二人の婚姻からは俊足でしられるアキレウスが生まれる。
しかし半神のアキレウスが不死でないことを憂えた女神がステュクスの河で幼い彼を水浴させた。この河の水につかれば不死になるのだ。そのとき掴んでいた足首が水につからなかったことから、彼はこのかかとの部分が急所になる。俗にいう「アキレス腱」の語源である。また転じて「弱点」のこともさす。
アキレウスは、こう予言されていた。トロイア戦争に参加すれば名誉ある戦死をとげる。しかしギリシアにとどまれば名誉はないが長命を得られる、と。その死すべき運命をさけようと、ティティスアキレウスが15歳の時女装させ、スキュロス島に隠す。そこの王女ディダメイアとねんごろになり、一子ネオプトレモスをもうける。
(女装していてもやることはシッカリ男である)
しかし、商人に化けた知恵者オデュッセウスに、武器を手にとって喜んだことから女装を見破られアキレウスは参戦を決意する。(ということはそれまでばれなかったくらい美しかったということ??)

とにかくアキレウスはその強さと美男で有名で 、「イリアス」以前のエピソードで、 アガメムノンが戦勝祈願の生け贄のために娘イピゲネイアを呼び寄せるとき、「アキレウスと結婚させてやる」というと 、全く疑わずにやってきたくらいなのである。(「アウリケのイピゲネイア」
このイピゲネイアをだまして犠牲に捧げたことからアガメムノンの妻のクリュタイムネストラが深く夫を恨み、後の悲劇「アガメムノン」につながる。またこの自分の名を使ってイピゲネイアを騙したことからアキレウスアガメムノンを快く思わないようになり、後の戦線離脱につながる。

イリアス本編では描かれていないのだが、アキレウスはアマゾンの女王ペンテシレイアとも闘い、これを倒している。ペンテシレイアは、昔のトロイア王への恩義からトロイアの味方をし、戦線に参加し、アキレウスに闘いを挑むが討ち取られる。だがアキレウスは彼女の死に顔の美しさに打たれ、惚れ直したという。
 これは不思議なエピソードで、アマゾンの女王は別の神話でも英雄に負けることになっている。(例:テセウス、ヘラクレス)これは男勝りの女が立派な英雄の前ではただの女になるという男性の願望の表れだろうか。大体「アマゾネス」の存在が「空想の産物」なので、プラトンのアトランティスとどっこいどっこいの「妄想」なのかもしれない。

あとアキレウスのかわりに武具をつけて討ち死にした親友パトロクロスだが、彼とアキレウスは「親密」でアキレウスの馬車の御者もつとめている。(息があっていないとできない)豪華な贈り物を提供されても動かなかったアキレウスが彼の死によって 猛然と奮戦するのも、二人のただならぬ関係を示唆していて興味深い。パトロクロスの傷の手当てをする親密な関係を描いた皿の絵や壷絵も存在し、二人の間柄は「周知」であ ったようだ。(本文中には傷の手当てをする場面はない)
 

またこの「イリアス」の続編にあたる「オデュッセイア」の主人公オデュッセウスもギリシア軍の知恵袋のように描かれ、重要な交渉ごとはみなこのオデュッセウスがからむ。もちろん武勇にもすぐれ、何人もの敵をなぎ倒す勇士でもある。
 

とにかく「イリアス」の中は神々だけでなく人間も美しく、激情的でそれぞれに個性の強いスター達がそろっている。



6.シュリーマンの発掘

 

トロイアを有名にしたのはシュリーマンによる発掘である。
ずっと長い間、この「イリアス」の世界は「物語」として片づけられていたが、トロイアの存在を堅く信じるドイツ人シュリーマンによって、トロイアの城壁などが発掘され、以後次々とこの場所で何層にも重なった都市の遺構が発見され、年代の測定などからトロイアの古い都市であることが判明した。
遺跡に火事で焼け落ちた部分が発見され、色々な資料から「イリアス」のモデルになった戦争は紀元前12世紀頃とされている。
 シュリーマンは「イリアス」というより、その後の物語の中の、アイネイアスが老父を背負って逃れる一枚の挿絵に強く引かれ、トロイアの実在を信じたという。
 実際のシュリーマンの発掘は都市遺構の一部を破壊したり、年代を誤ったりしていたが、トロイアの実在を証明した功績は大きい。 現在遺跡のあった所には観光の目玉に木馬の模型が作成されているが、それは当時のものを映したものかどうかは疑わしい。
 このトロイアの王であるプリアモスの宝がオリハルコンであったという俗説もある。
出土した黄金のマスクをアガメムノン王のマスクと名付けたのは有名な話である。 (実際には出土の年代がちがっている)
  トロイア戦争は絵空事ではなく、現実におこったギリシアとその周辺の都市との攻防を描いたものが伝説化したものということが現在の通説となっている。

 実際には美女一人が戦争のきっかけとは考えにくく、神話的要素も多分に入り込んでいるので
この土地から産出する錫(すず)の利権を巡っての経済戦争が伝説の形に変わったとの見方もある。錫は銅と合わせることによって青銅になり、重要な資源の一つである。 またダーダネルス海峡の通行を巡っての利権もからんでいるという話もある。
  またヘレネの実在を疑問視する見方もあり、名前や父がゼウスであることから、元々はこの地方の女神だったのではという説もある。



7.描かれた「イリアス」

「イリアス」の世界を絵画や映画、小説化したものも数多い。

 古いものでは映画「トロイのヘレン」(1956年:ロバート・ワイズ監督)が有名。自分は残念ながら未見だが、「イリアス」の世界をほぼ忠実に再現したもののようだ。また我らが日本の手塚治虫氏も「火の鳥・ギリシャ編」でトロイア戦争を舞台にとりあげている。また同氏の絶筆「ネオ・ファウスト」にも「世界一の美女ヘレン」というモチーフが現れる。

 絵画の世界でも多くの画家が「イリアス」を題材にした絵を描き、なかでも19世紀古典主義の画家、ダヴィドの「アンドロマケの悲嘆」は、アキレウスに倒されたヘクトールの遺骸を前にして悲しみに暮れる未亡人のアンドロマケを劇的に描き、とても印象深い。また「イリアス」の叙事詩中には登場しないが、紛争のもととなった「パリスの審判」も多くの画家が題材に選んでいる。
 2004年5月に封切りされた「トロイ」は主人公アキレウスを美貌で知られる俳優ブラッド・ピットが演じた。前評判の通り、彼はこの映画の為に鍛えた筋肉美で神話の英雄アキレスを見事に表現した。また激情的で気分屋のアキレスのダークな面も強調されていて、今までのアキレス像とはひと味違っていた。またヘレンをさらうパリス王子役にこれも壮大なスケールで映画化された「指輪物語」でエルフの王子を演じたオーランド・ブルームが、満たされない美貌の人妻を誘惑する情熱的な若き王子にぴったりだった。またヘクトールは「ハルク」のエリック・バナが演じ、その誠実でまじめな印象がアキレスと好対照だった。プリアモス王にはかつて「アラビアのロレンス」で勇者ロレンスを演じたピーター・オトゥールが配役され、その圧倒的な存在感で息子を失った老王を演じ、光るものがあった。監督のウオルフガング・ペーターゼンはファンタジー作品「ネバーエンディング・ストーリー」で一躍メジャ−になったがそれ以前に「U−ボート」という戦争のむなしさを徹底的に描いた潜水艦を題材にした映画を撮っており、「トロイ」はその印象に近かった。神々の視点を徹底的に排除した描き方は原作「イリアス」に逆に近いものかもしれないと言う印象をもった。今後も多くの人の手によって「イリアス」の世界は映像化されていくのだろう。

 また現在の小説にも影響を与えており、近年ではマリオン・ジマー・ブラッドリーが「ファイアーブランドシリーズ」(ハヤカワFT文庫刊・現在絶版)として予言者カッサンドラの視点を通じて小説化しており、新しいインスピレーションを与えている。 こういう方面から「イリアス」を知っても面白いと思う。

 また当然ながら、ギリシア各地から出土する壷や皿には「イリアス」から題材をとった絵も多い。中には先のパトロクロスの所で紹介したように、直接「イリアス」に描かれてはいないが、べつの異伝で語られているシーンも多く描かれ、この物語が幅広く人々の間で周知だったことがよくわかる。
 また有名なギリシアの彫刻に蛇に絡まれ苦悶しながら絶命していくラオコーンを表現したものがあり、発掘当時、ミケランジェロなどの当時の芸術家に大いなるインスピレーションを与えた。後にこれはローマ時代の模刻(ローマン・コピー)だと判明したが、ヘレニズム期の傑作として後世に大きな影響を与えている。
(この項目は随時追加予定)


 


8.終わりに

「イリアス」は基本的には「英雄叙事詩」なので華々しい戦場での英雄の活躍を描いている。
しかし、文中には見目麗しい若者が次々と闘いに倒れていく様子や、投げた槍が勇士のこめかみを突き抜けた、槍の穂先が舌の付け根を切り裂いた、兜の中に脳漿が満ちた、など戦場のすさまじい描写が多く、実際の生臭い戦闘シーンを描写したものが多い。
 特に若者が死ぬシーンは「ポプラの木が鉄の斧でうちたおさせるよう」と若い命の夭折を惜しむ描写がある。
これは「戦争批判」でなくてなんであろうか。

また研究者によるカタイ本を読むと主題は「アキレウスの怒り」だとあるが、それも単純な目の前の人物への怒りだけでなく、死すべき運命を逃れられない自分自身への「怒り」にも思える。
続編にあたる「オデュッセイア」の中で冥界に下ったオデュッセウスの前に現れるアキレウスの亡霊は「華々しい名誉を上げて死ぬよりは平穏無事に生きていた方がよい」と生への執着を語る場面がある。これもアキレウス自身は「死」を望んでいなかった証拠だろう。彼もまた運命に抗おうとして果たせなかった一人なのだ。

またトロイアの王女カッサンドラは予言の力を与えられていたがアポロンの愛を拒んだため、その予言は信じられないという罰を与えられた。彼女は何度もトロイアの陥落を予言し、真実を伝えるのだがいつも聞き入れられず、結局トロイアは滅びてゆく。
これも「逃れられない運命」を描いた「悲劇」の一種だろうか、と思える。

 このように戦争の愚かさ、悲惨さ、正義は絶対でなく、神々でさえ予測の付かない人の行動への不可思議さなど、胸にせまるものがあるからこそ、数千年の時を生き延びて「古典」として生き残っているのだろう。
 

「海のトリトン」の世界とははっきりいって全く直接関係はない。
強いて言えば女神アテナの形容詞に「トリトン生まれの尊い女神」という記述があるぐらいだろうか。(これは彼女の別名がトリートゲネイアに由来する)
このストーリーを元にしたという話も聞いたことがない。
 だが「海のトリトン」「少年版オデュッセイア」だとすれば、当然その「前編」の「イリアス」に当たる話があっても不思議ではない。
 もしかしたら、英雄アキレウスのように激情にかられながら戦ったトリトン族、あるいはヘクトールのような武勇に優れたポセイドン族の英雄がいたかもしれない、と想像はつきない。
 

幸い、日本は「翻訳文化」の国である。遠いギリシアの古典も「自国語」でほとんど読める環境にある。近くの書店になければ図書館でひっそりと読まれるのを待っているかもしれない。
普通の小説にあきたら、人生の後半にゆっくりと古典の世界を覗いてみるのも一興ではないだろうか。

※登場人物が多く、どちらがギリシア側かトロイア側かややこしいので
一覧表を作っておくので暇な方はご覧下さい
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◆参考図書◆

イリアス(上)(下)          
ギリシア神話の悪女たち              
ギリシア・ローマ神話文化事典  
マンガ・ギリシア神話7                
ギリシャ・ローマ文学−韻文の系譜−  
西洋古典学−叙事詩から演劇詩へ−   
ホメーロス.ギリシア劇集  
世界文学全集1 
ホメロスの世界
エジプト・トルコ・ギリシアの本
旅のガイドムック21  
古代への情熱−シュリーマン自伝                

ホメロス/松平千秋訳        岩波文庫
三枝和子               集英社新書
ルネ・マルタン/松村一男訳     原書房
里中満智子                小学館
逸見喜一郎            放送大学教材
久保正彰              放送大学教材
                    筑摩書房
藤縄謙三              新潮新書                
                 近畿日本ツーリスト
シュリーマン              新潮文庫