■オデュッセウス■

  むかし、少年画報社から出版されたファンタジーアニメアルバムの中に、当時『海のトリトン』の文芸進行だった鶴見和行さんの話がのっている。
 その中に基本コンセプトとして、「少年版オデュッセイア」を据えたとある。
だとすると、トリトン=オデュッセウスとなり、ストーリーや性格付けに類似が見られるのが自然である。

 『オデュッセイア』とは、トロイア戦争に参加したイタケーの王オデュッセウスが海の神ポセイドンの不興をかい(※ポリフェモスの項を参照のこと)、トロイア戦争に参戦の後、故郷のイタケーにたどり着くまで10年も放浪させられるという有名なギリシアの叙事詩である。
作者はホメロス(英語読みはホーマー)とされ、すでに紀元前8世紀には完成していたようである。
西洋文学の古典中の古典といわれる。
 

 作者のホメロスには色々と諸説があるが、優れた詩人であり、『イリアス』『オデュッセイア』を現在伝わる形に構成し直した個人、あるいは文芸作品を専門に作成する集団の総称とする説が有力である。本来は口承叙事詩であったが、ある時期に書き留められたとされる。原文はヘクサメロトスと呼ばれる韻文で、竪琴などの伴奏付きで詠唱されたものと想像される。
  ヘレニズム期(紀元前3世紀)にはすでにアレキサンドリアで写本が存在し、ローマ時代にはこの『オデュッセウス』『イリアス』を暗唱するのが教養であった。また、『イリアス』『オデュッセイア』はともにホメロスの作品ということになっているが、その構成や内容から、作者が異なるのではないかとの見方もある。
 後世への影響が大きく、ローマの建国を歌った『アイネイアス』『オデュッセイア』に構成が似ている。
 『オデュッセイア』は、ラテン語読みで『ユリシーズ』とも言われ、放浪する物語の代名詞にもなっている。多くの文学者がこの作品にインスピレーションを得て、自身の作品を作っている。(ジェイムス・ジョイス『ユリシーズ』など)
 

 同名の映画で、オデュッセウスを演じたのは、カーク・ダグラスである。彼はまた、ローマ時代の奴隷の反乱を描いた『スパルタカス』にも主演している。彼の着る戦闘用の片手の鎖帷子がゲルペスの衣装にそっくりで、デザインのアイデアになったのでは、と思われる。

 オデュッセウスの帰国の途中の冒険にポセイドンの息子のポリフェモスを盲目にした話(第9歌)、海の魔物セイレーンの声に引かれて海に引きずり込まれないように部下の耳に蝋をつめ、自身をを帆柱に縛り付けさせて難を逃れたり(第12歌)、色々と『海のトリトン』の世界との類似が多い。また、第5歌に海の女神カリュプソーの島から脱出するために筏を巧みに作った、との記述もある。

 『オデュッセイア』の構成は、始まりがすでにトロイアを出てから何年かたった時点から描かれ、劇中でオデュッセウス自身による回想シーンなどがある。全24巻から構成されるが、第1巻の時点ですでにオデュッセウスがイタケーを出てから9年近くが経過している。

 『海のトリトン』の第一話の冒頭のシーンはすでにトリトンとポセイドンが戦っているシーンから始まっており、ある程度時間が経過した時点から、物語の中の時間をさかのぼる形で進行する。

 オデュッセウスは大変な智恵者として知られ、初めはトロイア戦争に参加するのを拒み、狂人のふりをしてのがれようとしたが、幼い息子を巧みによけて農作業するようすを見破られ、やむなく参加したという。

 トリトンのキーワードとして「智恵と勇気」というのがよく使われるが、それはそのまま、オデュッセウスの枕詞にもなる。有名な「トロイの木馬」のアイデアを出したのが彼とされる。「ギリシアの英雄のうち、もっとも聡明なオデュッセウス」という記述もあり、とにかく「賢者」の印象が強い。

 『オデュッセイア』では主人公オデュッセウスは、最後には故郷のイタケーに戻り、留守の間、館をしたい放題に荒らして財産を食いつぶしていた求婚者たちを弓矢で射殺し、待っていた妻のペネロペイアと息子テレマコスと再会する。そして、家族仲良く暮らす未来が暗示されて終わる。 

 だが『海のトリトン』の世界では、最終話ではトリトンは再び放浪する。
彼の故郷は大西洋だが、そこが安住の地とはならない含みを持った表現で終わる。
「知恵と勇気」を身につけたトリトンが、大西洋の海底で見たものは果たして「すばらしい大団円」だろうか。この基本設定とも異なる印象的な最終話は色々な意味で暗示的である。
 
 視聴者自身が彼の安住の地を見つけなければならないのだろうか。

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