トリトンへ片想い
その2

トリトン熱はますます加熱してきます・・・


■「土曜の夜、何みてる?」■

 第一話ですっかりすっかり番組、いや、トリトンのとりことなった私は、寝ても覚めても「トリトン」の事を考える日々が始まりました。もう続きが気になって、気になって、気になって仕方がなかったのです。

新学期が始まり、クラスで友達が出来る中、話題は自然と「海のトリトン」のことになりました。
しかし、以外と「海のトリトン」を見てる人は少なくて、「トリトン?なに、それ?」と言う返事が返ってくるのが一番悲しかったです。

 そこで、私は親しい友人だけでなく、普段あまり話さないような人にまで、聞いて回ったのです。
「土曜日の夜、7時から何見てる?」と。
 返事はたいてい「天才バカボン」でした。当時土曜の夜7時から放映されていたのです。
そして次が以外と「NHKの7時のニュース」。その次ぐらいが「怪傑ライオン丸」でした。
 関西の地方の町のそのまた地方の1学年3クラスしかない小学校でしたが、「海のトリトン」はしっかり低視聴率でした。そこで私は「『海のトリトン』っていっぺん見てみい(ごらん)。絶対おもしろいから」と、ひとりひとり、すすめて行ったのでした。
 はじめ、は「ふーん」と聞き流していた人にも「海のトリトン」というフレーズを耳に覚えてもらう効果はあったらしく、夏休みにはいる頃には結構見る人が増えてくれて、嬉しかったです。

  私自身は裏番組のライオン丸はトリトンと同時に始まり、同時に終わったので結局見るチャンスがなかったです。再放送もあったかどうかわかりません。あとで、主題歌をヒデ夕樹さんが歌っていたと聞いて、ますます節操がないな、と思いました。



■学級新聞でPR■

  当時、クラスで学級新聞づくりをやっていた私は「好きな記事書いていい?」とスペースをもらい、そのころ購入したばかりのクラウンレコードのジャケット裏の絵を切り抜き、トリトンを紹介する記事をちょこっと書いて、張り出したりしたのでした。

  それは、自分のお小遣いで初めて買ったレコードでした。(当時¥400)
4月いっぱい、番組の終わりに『「海のトリトン」レコードプレゼント』というスポットが入っていたのを覚えています。しかし、どうせ当たらないだろう、ときめこみ、購入しました。
 ものすごく嬉しかった事を覚えています。そしてその絵がTVそっくりだったので、ますます嬉しかったです。
 後で知ったことですが、クラウンレコードのジャケットは羽根章悦さんが描いたキャラクター表が使われており、ポセイドンの怪人たちもずらりで、結構いい資料になりました。
それを切り抜いて張り付けたのは私もやっぱり小学生だったのですね。トレスするという頭が無かったのです。
 あとで、再版されたときにもう一度購入しました。


 翌月の新聞では「トリトンに片想い・その1」で紹介した4月1日の夕刊の記事の絵を使って、色をぬってB4版ぐらいの記事を作りました。
そのころは話が10話ぐらいに進んでいたので、ますますおもしろくなるし、今まで見ていない人でもこれまでのあらすじが楽しめる、というようなことを書いて精一杯PRしました。これまでのあらすじというのはアトランティス沈没のシーンのことです。(これだから、頭の中が子どもなのよ)
前半の「トリトン」の冒頭では毎回流されていたので、それまでのお話と勘違いしてました。
 (この記事も、のちの図書館で古い新聞をコピーして再度手に入れました。)

とにかく、一人でもたくさんの人に見てもらいたかったのです。私の想いはそれだけでした。
こんなおもしろい番組を見ないですごすなんてもったいない、なんて独りよがりの価値観をふりまわして騒いでいました。
 そのころから私には「トリトンきちがい」のあだ名がついていました。


■不思議な深夜のスポットCM■

 当時、夜更かしだった私は深夜11時ぐらいまでTVを見ているいけない子でした。
特に土曜日は次の日が日曜日なので、ついつい遅くまで起きていました。(「お荷物小荷物」がみたかったので・・・その余波で「君たちは魚だ」も見てました。・・・石橋正次が若かった。)

 あれは、たしか、放映して4話ぐらいだったと思います。夜の11時頃、普通のCMにまじって、突然「GOGOトリトン」の旋律が流れ、第1話でトリトンが一平じいさんの家で剣を抜くシーンや、トリトンがルカーに飛び乗るシーンが流れ、ついでデモラーに追いかけられるシーンが入り、たしか北川国彦さんのナレーションで、「海のトリトン、土曜夜7時放映中!」とかいうフレーズが入ったと思います。
 そのころもうすっかり「海のトリトン」の魅力に参っていた私は「トリトン」の曲を聞くと過剰反応するようになっていたので、間違いないと思うのですが、嬉しいと同時に、深夜11時頃という時間帯に、何故子供向けのアニメのCMをスポットで流すのか、当時子どもながら不思議に思いました。でも時間帯が時間帯なだけに近所の友人に確認も出来ない状態でした。

  そして、トリトンの声を当てている塩屋翼さんを「発見」したのもこの頃でした。
たしか6話か7話ぐらいに「トリトン」が進んでいた頃、「シルバー仮面」(※)という番組を何気なく見ていたら、突然、番組中で部屋にはいってきて、「オレの両親をかえせ!」とか叫んで、主人公(シルバー仮面になる人)をぶったたいた少年がでてきてびっくりしました。(すみません、何話か確認できません。シルバー仮面が怪人と闘ったあと、街がきえちゃったのです。その街に自分の両親が住んでいたのだ、と怒鳴り込んでくる少年が塩屋さんでした。)

    ※「第23話 東京を砂漠にしろ!」であることを確認しました。DVDが発売されています。ちあきさん、後協力ありがとうございました。)

 このとき私は「どっかで聞いた声だなあ〜」というぐらいだったのですが、途中で「トリトンの声だ!!」と気づくと同時に大声で叫び、そばにいた家族をビックリさせてしまいました。
それからしばらく「トリトンの声だ〜、トリトンの声だ〜」と喜んでいました。(ははは・・・)

 新聞の記事などで、トリトン役を少年があてているとは読んではいたものの、実際に確認したのはやはり感動ものでした。この時から、「声優」という仕事を意識するようになりました。
 当時塩屋さんは売れっ子の子役さんだったようで、「バロム1」や「スペクトルマン」など当時の特撮モノでよく出演されてたようです。コマーシャルにも出演されてたとか。見てみたいものです。


■新聞の記事■

 新聞記事といえば、サンケイ新聞ではよく、「海のトリトン」のPR記事が載りました。

 4月中に「好評です、海のトリトン」として、3話のゲプランの腕に襲われるシーンのトリトンとフィンの写真入りの記事、それと前後して、アフレコスタジオで実際のトリトンの声を吹きかえている塩屋さんの写真入りの記事が掲載されていました。(塩屋さんはブレザーを着ていた。寒い時期のアフレコだったのだと思う)
  何でも主役に(アニメでは)新人の塩屋さんと広川さんを起用し、脇役はベテランの北浜さんや北川さんなどで固めるという内容でした。

 こんなのを見ると否が応でも「海のトリトン」の制作現場に興味がわいてしまいます。
後に関西地区でファンクラブを作った人たちが、アフレコスタジオに行ったのも、こういう記事がきっかけだったのかもしれません。
 それに、敵役のポリペイモス役の加藤精三さんの紹介もあり、怪人役などが多いとありました。あとでよく考えるとこの方、「巨人の星」の星一徹さんの声をしていたではないでしょうか。
 とにかく、当時の私には「トリトン=塩屋翼」とごっちゃになり、こんなPR記事のイメージもあって、「海のトリトン」というTVまんが(そう、このころはまだこの言い方です)はなんだか、みんなで一生懸命作ってるらしい、というイメージが定着しました。そして、初めてTVのまんが(アニメ)はだれかが一枚一枚手をかけて作るモノだと言う認識が出来たアニメでした。それまでは漠然とTVの画面が勝手に動いていくという認識しかなかったのです。「トリトン」は初めて「作り手」を意識したアニメでした。
 でもその頃は裏の事情は一切知りませんから、手塚さんがどこかでチェックしてるのだろうと思ってました。
 それにこんなに紹介記事が多いので、視聴率が低いとはまさか思いませんでした。
 そういえば、「原始少年リュウ」の後番組だったのですね、「トリトン」は。
「リュウ」の後半で「トリトン」のCMスポットが入ったのを覚えています。

 

   ★これらの記事は、図書館などで昭和47年当時のサンケイ新聞大阪版で
    見ることが出来ると思います。私の手元には切り抜きがあったのですが、
    引っ越しも重なり、散逸してしまいました。

    ★下の絵もお借りした幻のエンディングからです。20代はじめです;;;ポスターカラーを使って描いています。