トリトンへ片想い
番外編

話し出すととまらない「トリトン」への想い・・・
当時のこまごまエピソード


■各話の紹介記事■

 新聞の番組欄にはたいてい主な番組の内容説明があります。
「海のトリトン」の場合、当時のサンケイ新聞に、ほぼ毎週土曜日、その日の放映分の話の紹介が
載っていました。たまには写真も載りました。
 私がとても「海のトリトン」という作品に感情移入し、想像力を巡らせたのも、放映される予告編だけでなく、この「活字」で表された各話のストーリー紹介にも影響がありました。
こういうのは、たいてい、物語の前半部分の紹介ですので、想像が余計に膨らんだものです。
 しかしたった一回だけ、載らなかった日があります。それが最終回の「大西洋、陽はまた昇る」でした。

 理由は簡単。日中友好条約締結のため、田中角栄首相(当時)が訪中、というビッグニュースのために、紙面はその特集番組の紹介一色になり、アニメの紹介記事などを載せるスペースがなくなったからです。
 それまでほぼ毎週、この部分を切り抜いてコレクションしていた自分にはとてもショックで、特に最終回のストーリーの、頼りになる情報が得られない、というのはかなりこたえました。
 当時は詳しい政治状況などわかりませんし、なぜ中国に日本の首相が行くのがそんなに大げさなことなのか理解できず、田中首相を意味もなく恨んだものです(^^);;(もう2日ほど後に行ってホシカッタ;;;)
 おかげで、日中友好条約締結というニュースは、1972年という年のエピソードで、沖縄復帰や浅間山荘事件や、高松塚壁画発見より、大きく印象にのこることになりました。
 (この新聞記事の切り抜きのいくつかはTFC東京支部会誌に一部掲載させていただきました。
 でも肝心の記事は現在行方不明になっています;;;あほなやっちゃ;;;。
  一体誰が書いていたんだろう・・・)

 最近、その娘さんである、田中真紀子氏が外相になったと聞いて、思い出したエピソードです。
 (正直上手い人選だと思った)

・・・・と思ってたら、8ヶ月で「更迭」されてしまいました・・・。あわただしい政治の世界です・・・。


■当時の流行歌&思い出の曲■

 私はもともとアニメが大好き、というタイプでなく、面白いモノがあれば見る、というタイプの人でした。どちらかというと流行歌やアイドルが好きなごく普通の女の子だったと思います。
当時「帰ってきたウルトラマン」や「仮面の忍者赤影」なども再放映されており、そっちの方も結構見てました。

 流行歌で覚えているのは「ハチのムサシは死んだのさ」という不思議な歌です。
なんでハチのムサシが太陽に戦いを挑んで死ぬのか判りませんが、(意味を尋ねても誰も答えてくれなかった;;;)歌っていた男女混合のグループの変わったファッションスタイルと、「チュルル〜ル〜ルルル・・・」という奇妙な歌い回しで始まる曲がやけに印象に残っています。(後で調べると平田隆夫とセルスターズ」と言うグループだった)トリトンの当時、と言うと何故かこの曲が浮かんでくるのです。
 他には「喝采」(ちあきなおみ)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)が記憶に残っています。
あとアニメ「ミュンヘンへの道」の主題歌が印象に残っています。(たしか日曜日にやってたような?)
この番組、ミュンヘンオリンピックのためだけの番組のようで、3ヶ月で終わっております。
そして「怪獣のバラード」も。当時の日曜日、NHKで「スタジオ102」と言う番組があり、色々な歌を紹介して、歌ったり踊ったりしていました。その中の一つが「怪獣のバラード」で結構シミジミした良い曲です。「♪海が見たい/人を愛したい」というフレーズに一人で「感傷」にひたっておりました(^^)
 最近、小中学校の合唱曲の定番になってるようで、学校で聞いたとき、とても懐かしかったです♪


■トリトン商品のこと■

 本文中にもいくつか触れていますが、私はトリトン商品をあまり手にすることは出来ませんでした。
理由は簡単、商品の絵がTVとあまり似ていなかったからです(>.<)
今思えばなんとアホらしいのですが、当時は「こんなのニセモノ〜」と言う感じでいやだったのです。

でも店で見かけた商品のうち、いくつかを紹介します。
まずハンカチ。トリトンの髪が黄緑色と水色の二色のバージョンがありました。モチロン買えず;;
(買っても使わなかったと思う・・・)
あとプールバッグ。サラマンドラとオリハルコンを掲げたトリトンの図でした。やっぱり買えず。
あとエポック社の紙芝居。絵があまりTVと似ていなくて買えず。後で聞くと声優さんがTV版と違っていたそうです。
色鉛筆とサインペンも見かけましたが買えず。だってトリトンが太ってて「こんなんちがう!」とすねてしまったためです。
あと財布。ピピの絵とトリトンの絵がありました。近くの文具屋でありましたが、ハズかしくって買えず;;;(アホ!タイムマシンに乗って戻って買ってこいっっ!!)
トリトン人形もデパートのおもちゃコーナーで見かけましたが、余りにぽっちゃり幼いトリトンに恥ずかしくて買えず。ポセイドンの怪人はキモチワルイし・・・。
パンチボール(?)も見ました。空気をいれてふくらませて、ぼこぼこしても起きあがる奴。当然買えず。

ハンカチを買わなかった理由がアホらしくって、トリトンの髪がスゴイ明るい黄緑なので買うのを止めたんです。
2〜3種の絵柄がありました。ピピもありました。キャラクター表からのデザインだと思います。
ばかだな〜;;買っておけばヤフオクで高く売れるのに!(コラ!)トリトンの顔のシールがついていました。

 なんで当時の私ってこんなに臆病だったのでしょう???その気になれば買えるおこづかいをもらっていたはずなのに・・・。
一体商品に何を求めていたのでしょうか;;;


■「モンシェリCOCO」■

 「海のトリトン」が終わってすぐだったと思うんですけど、日曜夜7:30から、「モンシェリCOCO(ココ)」というアニメが始まりました。
 当時の週刊少女フレンドに連載されていた大和和紀さん原作のマンガで、ファッションデザイナーを目指す少女のお話です。当時少女フレンドの読者だったワタシは当然、成り行きでこの番組を見ます。

 見て、ビックリ仰天。主人公のココの声優さんが「トリトン」のピピ役の広川あけみさんなのです!
もっとビックリしたのは、何気なくココをサポートするファッション雑誌の女編集長マダム・シェリルの声がルカーの北浜晴子さんなんですっっ!!(すごくカッコイイ、ばりばりのキャリアウーマンだった。サングラスのよく似合う美人!)
 「ココ、アナタには才能があるわ」なんて言うのがどうしても「ピピ・・・」という呼びかけに聞こえるし、
 「アタシはココ・シャルマンよ」なんて言うせりふが私には「おいおい、『ピピ』のまちがいだろっ」と、つっこみたくなるのでした。(この命名って、やっぱ、有名ブランドの創始者ココ・シャネルなんだろうか→個人的に彼女の人生に興味ありますが)
 雰囲気がピピの時と違ってやっぱりお姉さんで、しっかりジェロームという彼氏もいるのですが、(ジェローム役は森功至さん・・・大鷲のケンじゃんか!)私はカンペキにゴチャゴチャになり、「トリトンがいるだろーーーー」なんて妙なはしゃぎ方をして見ていたアニメでした。
 こうなればトリトン役をした塩屋さんもどっかで出てホシイ、と思いましたが適当なキャラがいず、残念でした。(密かにココの弟と言うのを期待していた。ココの母親は日本人なので、日本に異父兄弟がいるかもしれない、とか)
  このアニメも原作のマンガとはずいぶんキャラクターデザインが違います。大和さんの絵はどっちかというと平面的なので、TVのキャラは、ファッションデザインのイメージ画のような感じになっていましたが、それがまたかわいくて、かっこよくて、楽しかったです。特にライバルのキリーがカッコよかったです。今見ても見劣りがしないのではないでしょうか。
 でも当時クラスメート達には不評で、マンガの方と絵が違うし、話も違うからイヤ、と言う意見が多かったです。うーん、子供って基本的に保守的なんですねー。(アンタも子ドモだったでしょ)
 それと「トリトン」のBGMによく似た曲が使用されていました。(そのまま使っていたのかどうかはっきりしません)
 でも視聴率が伸びなかったのか、3ヶ月で終了してしまいます。
今思えば「早すぎた」でしょうか。でも私はよほど熱心に見ていたのでしょう。再放送が一回もないのに、主題歌は歌えたりします;;;;(♪愛はまだ〜もやの中〜;;;)

 個人的に大和和紀さんの絵は好きで、今は「あさきゆめみし」「はいからさんが通る」等で有名ですが、当時は「クレムリンの丘に眠れ」とか「ラブパック」とか、すっきりした絵柄で、少年を描くのが上手かったです。自分の絵に影響もあるかもしれません。またガッチャマンのファンでもあるそうです。
(へへへー、実は直筆サイン色紙もってるし、サイン会で握手してもらった!!わははー、ミーハー!!)最近、NHKの「そのとき歴史が動いた!」でゲスト出演されてたのに驚きましたけど・・・。(漫画家というより、どっかの大学の講師に見えた)


■ファンクラブへのきっかけ■

 あれだけ大騒ぎしていたのにファンクラブに入ったのは中3の終わりになってからです。
(ファンになってから4年か?)理由は簡単、近くにファンクラブの人がいなかったからです。
当時はやはりワタシも子供でした。
「トリトン同好会」は結局、新聞記事以外に情報が入りませんでした。
近所の友人にきいても「そんなのがあるんやな」という程度で誰も「一緒に入ろう」といってくれる人はいませんでした。やはりまだまだ私も臆病だったのでしょう。

それがある日、中3も終わりになったある日、部活で何かの拍子にトリトンの話になり、後輩の女の子が「トリトンやったら、ウチのお姉ちゃんがファンクラブに入ってる」と教えてくれました。
 そのファンクラブがTFC東京支部だったのです。
何冊か会誌を見せてもらい、トリトンのセル画や原画のコピーが豊富だったので、即入会を決意し、受験が一段落すると正式に入会しました。(ホントにその後輩のお姉さまには感謝です)
 当時九州支部や奈良トリトン同盟も紹介していただきましたが、やはり資料に目がくらんで(?)
東京支部にしました。だって表紙がセル画の白黒版だったんだもの・・・!
 今でこそ、ファンどうしのコミュニケーションが大切なんて、言ってますが、当時はやっぱり直接資料がほしかったです。それがたとえコピーでも・・・。
 そこでカットや文を投稿し載せて頂いたり、会員の方からお手紙をもらったりして、色々な人と知り合えるチャンスに恵まれました。
 後に、奈良トリトン同盟も入会(きっかけはわすれました;;;)。九州支部は解散しちゃうと言うので、もったいなくて終わりの方に入会しました。
その後、九州支部の会誌のカットを見た方から誘われて後援会にも入会しました。
ホワイトアルバム(蛙プロの自主制作のBGMレコード)の署名にも参加しました。
後にグループトリトンと言うところで少し続編漫画も描かせて頂きました。(尻切れになっちゃいましたが;;;)
 ホントにご迷惑ばかりかけたような気がしますが、今こうしてHPを開いているのも、この時の経験のおかげです。
 ファンクラブで学ばせていただいたことは、それぞれがトリトンを好きで、ファンごとに違うトリトン像が心の中にあるということでした。そしてその「心の中のトリトン像」をお互いに尊重しなくてはならない、ということでした。

特にトリトン少年と言うキャラはTVどおりでなく、それぞれの心の中で個別に生きる「可塑性」のあるキャラとなっています。
(この「可塑性」という言葉を教えてくれたのがFCを紹介してくれた方でした)
いわば女性の、(いや男性にとっても)理想の少年像となりうるので、時代に束縛されない永遠に生き続けるキャラクターになっていると思います。

 トリトンは不滅です。

エンディング写真より模写

↑幻のGOGOトリトンのエンディング最後のカットより